日本歴史地名大系 「源空寺」の解説 源空寺げんくうじ 群馬県:北群馬郡子持村吹屋村源空寺[現在地名]子持村白井 松原白井(しろい)城跡大手真北の松原屋敷(まつばらやしき)にあり、同城の北の要の役も果していた。当寺の後ろから中世の白井城主長尾氏の菩提寺空恵(くえ)寺への参道が始まる。法然山と号し浄土宗。本尊は阿弥陀如来。天正一八年(一五九〇)白井城に隠栖した本多広孝が開基となり京都知恩院を本寺とし、無哲を開山に迎えた。近世白井村に五〇石の朱印地があった(「徳川家康朱印状」源空寺文書)。その後白井本多家は断絶するが、広孝五代の孫信濃飯山(いいやま)城(現長野県飯山市)城主助芳は、正徳五年(一七一五)当寺に墓所を建立している。一八世紀末の建立と思われる本堂・鐘楼・山門などが残り、鐘楼の鐘は安永七年(一七七八)、半鐘には宝暦一四年(一七六四)の銘がある。 源空寺げんくうじ 熊本県:熊本市熊本城下子飼源空寺[現在地名]熊本市東子飼町東子飼(ひがしこかい)町の南側に位置し、碩台(せきだい)小学校の北側、東隣は東光(とうこう)寺。勢光山と号し浄土宗、本尊弥陀三尊立像。「国誌」に「慶長五年信蓮社錦公貞誉開基之、表口二十一間五合、入二十一間免許、外ニ口一間半、入二十三間年貢地、境内閻魔堂アリ」とある。明治一〇年(一八七七)の西南戦争で焼失後再建、第二次世界大戦中強制疎開により八代町の荘厳(しようごん)寺に移転し、建物は撤去された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by