日本歴史地名大系 「滝尾神社」の解説 滝尾神社たきおじんじや 京都市:東山区東福寺門前一之橋町滝尾神社[現在地名]東山区本町十一丁目本殿・拝殿ともに南面して、鳥居は五葉(ごよう)の辻子に向かう。別に西面して本(ほん)町十一丁目に向く鳥居がある。「拾遺都名所図会」に「滝尾社 大和大路南爪にあり。祭神藤杜の属社なり」とみえる。すなわち藤森(ふじのもり)神社(現京都市伏見区)に属し、その御旅所でもある。祭神は大国主(おおくにぬし)命。祭日は六月二二日。旧村社。創始は明らかでないが「京都府地誌」によれば、現在地に移ったのは天正一四年(一五八六)一〇月、豊臣秀吉の方広(ほうこう)寺(現東山区)大仏建立に伴ってのことという。「坊目誌」に「元洛東聾谷にありて、武鵜社と称す。応仁元年八月兵火に罹る。其後日吉坂の地に移し之を再造す。 滝尾神社たきのおじんじや 栃木県:今市市今市村滝尾神社[現在地名]今市市今市旧日光街道(現国道一一九号)今市宿の屋並の北西隅南側、春日(かすが)町にある。主祭神は田心姫命、大貴己命・味耜高彦命を配祀する。旧郷社。神護景雲年間(七六七―七七〇)勝道が日光山に入り、日光三社権現を祀ったとき当社を遷座したと伝える。今市宿の総氏神として崇敬された。宝暦一二年(一七六二)の今市宿大火で焼失、のち再建され、明治一五年(一八八二)再び大火で類焼した。現社殿は同二四年建造。古来の大祭は一月一四日・一五日両日で、備謝祭という強飯式に似たものであったといわれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報