日本大百科全書(ニッポニカ) 「潮音道海」の意味・わかりやすい解説
潮音道海
ちょうおんどうかい
(1628―1695)
江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。肥前(佐賀県)に生まれ、13歳で慈雲寺泰雲(たいうん)のもとで出家。その後、医王寺の瑞巌(ずいがん)について修行、18歳のとき京都に上り学習した。近江(おうみ)(滋賀県)瑞石(ずいせき)山永源寺(えいげんじ)の如雪文巌(じょせつぶんげん)(1601―1671)などに参学した。1654年(承応3)長崎に行き、黄檗宗の道者超元(1602―1663)について修行し、東明寺にとどまり、隠元隆琦(いんげんりゅうき)や木庵性瑫(もくあんしょうとう)に学ぶ。1661年(寛文1)京都黄檗山万福寺に赴き、ふたたび隠元、木庵に参じた。1664年、木庵とともに江戸に行き、池田秀峰(いけだしゅうほう)、黒田泰岳(くろだたいがく)に招かれて大慈庵に住し、上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)の藩主徳川綱吉(とくがわつなよし)が創建した万徳山広済寺に招かれると、木庵を開山とし、自らは2世となる。禅僧でありながら神道(しんとう)や真言(しんごん)宗の教義にも通じていた。元禄(げんろく)8年8月24日に68歳で死去。『摧邪輪(さいじゃりん)』『坐禅(ざぜん)論』『霧海(むかい)南針』など40巻余の著書がある。
[廣瀬良弘 2017年9月19日]