東胡(読み)とうこ

日本大百科全書(ニッポニカ)「東胡」の解説

東胡
とうこ

春秋時代(前770~前453)ごろからモンゴル高原東部に現れた狩猟牧畜民族。初めは、西方月氏(げっし)とともに匈奴(きょうど)より優勢であったが、匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に討たれてそれに服属した。烏桓(うがん)、鮮卑(せんぴ)、契丹(きったん)はいずれもその後(こうえい)であるといわれる。東胡とはツングースの音訳であるとする説もあるが、これは、胡(匈奴)の東の民族という意味であるらしい。その人種について、モンゴル系を主とし、ツングース系の混じった混血種族であるという白鳥庫吉(しらとりくらきち)の説があるが、明らかではない。

[護 雅夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「東胡」の解説

東胡
とうこ
Tong-hu; Tung-hu

中国,春秋時代頃からモンゴルの東方にいた民族。戦国時代,燕はこれと戦い,長城を築いてその侵入を防いだ。秦代にはモンゴルの西方の大月氏 (→月氏 ) と並んで強力となり,匈奴を圧迫したが,匈奴の冒頓単于 (ぼくとつぜんう) がこれを打破し,支配下に入れた。烏丸鮮卑契丹は東胡の後裔といわれる。その民族系統は,東胡をツングースの音訳とする説もあるが,胡 (匈奴) の東にいたものの意であるとする説が有力で,モンゴルを主としツングース系を交えた民族であろうと考えられている。

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旺文社世界史事典 三訂版「東胡」の解説

東胡
とうこ

春秋時代から代にモンゴルに現れた狩猟遊牧民族
燕 (えん) はこれを防ぐために長城を築いた。匈奴(胡)の東方に存在したところからこのように呼ばれたが,匈奴 (きようど) の冒頓単于 (ぼくとつぜんう) に討たれて衰退。のちの烏桓 (うがん) ・鮮卑 (せんぴ) はその後裔 (こうえい) といわれるが,民族・言語については不明な点が多い。

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百科事典マイペディア「東胡」の解説

東胡【とうこ】

東部モンゴリアにいた古代の狩猟遊牧民族。春秋時代から中国の史書に現れる。初め匈奴(きょうど)より優勢であったが,前2世紀匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に服属。その後身は鮮卑(せんぴ)および烏桓(うがん)となった。モンゴルとツングースの混血と考えられ,契丹(きったん)もまた同系統に属する。

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精選版 日本国語大辞典「東胡」の解説

とうこ【東胡】

〘名〙 (「胡」は中国で辺の異民族に対する蔑称) 東方の異民族。特に、春秋時代から東蒙古に現われた狩猟遊牧民をいう。のち匈奴に支配された。烏桓・鮮卑・契丹はその後裔といわれる。〔史記‐馮唐伝〕

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世界大百科事典 第2版「東胡」の解説

とうこ【東胡 Dōng hú】

中国,春秋時代から漢代初めに内モンゴル東部にいた遊牧狩猟民族。匈奴つまり胡の東方に居住したことからの呼称。戦国期,直接に境を接した燕国は対策に苦しみ,上谷遼東などの5郡をおくとともに,いまの河北省懐来から遼寧省遼陽までの間に長城を築いてその騎兵を防いだ。秦代になると一段と強盛となり,一時は匈奴を圧倒したが,前漢の初め,冒頓単于(ぼくとつぜんう)に急襲されて壊滅した。後漢代にあらわれる烏桓(うがん)と鮮卑はその後裔とされている。

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