大学事典 「燕京大学」の解説
燕京大学[中国]
えんきょうだいがく
1919年,通州協和大学(中国),華北協和女子大学(中国),北京匯文大学(中国)という三つの教会大学が合併して北京市に創設された。初代学長はアメリカ人のジョン・スチュアート,J.。最初に設置された学院は文,自然科学,応用社会科学の三つで,後の二者はその後理学院,法学院に改称された。1929年に正式に私立大学としての認可を得た。1941年の太平洋戦争勃発により大学は日本軍によって閉鎖され,学長をはじめ多くの教員,学生が逮捕されたが,一部の教員と学生は四川省成都市に燕京大学臨時学校を置いて授業を継続した。1945年10月にスチュアートが指導して授業を再開し,翌年になると成都市にいた教員・学生も復学。1949年の教員156人,学生903人。1951年に中国政府に接収されて国立大学となり,翌52年には,院系調整の中で文学院と理学院の専門分野が北京大学を中心に北京師範大学,清華大学などに編入され,法学院の専門分野は北京政法学院,中央財経学院に編入されて,燕京大学は閉鎖された。
著者: 南部広孝
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報