爪村(読み)ひづめむら

日本歴史地名大系 「爪村」の解説

爪村
ひづめむら

[現在地名]伏見区よど樋爪町

かつら川西岸に位置し、北は古川ふるかわ村、南は水垂みずたれ村と境し、東は桂川を隔てて納所のうそ村に対し、西は古市ふるいち神足こうたり両村(現長岡京市)に接する。村内を、字一町田より起こった五間堀溝・七間堀溝が、水垂村へ流入している。

「山槐記」永暦元年(一一六〇)八月二〇日条の石清水行幸の記事に「火爪ひづめ」とみえ、また「石清水御幸記」文応元年(一二六〇)八月九日条にも「樋爪ノ橋破損ノ之間、依仰勧進上人募成功、亘之」と記載されている。この樋爪橋について、「宇治拾遺物語」巻一〇に、

<資料は省略されています>

とあるのは、樋爪橋の交通路としての重要性をうかがわせる。

南北朝期には、「園太暦」に樋爪庄の名がみえる。また文明九年(一四七七)一〇月一五日付室町幕府奉行人奉書案(久我家文書)には、

<資料は省略されています>

とあり、また天文四年(一五三五)一〇月一八日付の右京兆代・久我家雑掌あての幕府奉行人奉書等(同文書)にも樋爪の地名がみえ、久我家領樋爪(庄か)が存在したことをうかがわせる。


爪村
ひのつめむら

[現在地名]川口市朝日あさひ一―六丁目・末広すえひろ一―三丁目

十二月田しわすだ村の北に位置し、平坦な村。二十九日ひのつめ村とも記すという(風土記稿)。ほぼ中央を日光御成道が南北に通り、西端をしば川が南流する。田園簿では田四六七石余・畑一一一石余で、幕府領元禄郷帳では高三五九石余に減じている。これは枝郷の二軒在家村が分村したことによる。寛文六年(一六六六)には当村のうち二〇〇石が大保福だいほうふく(現東京都文京区)領となり、以後幕末まで変わらなかった(改革組合取調書、安政二年「岩淵川口両宿組合地頭性名其外書上帳」永瀬家文書など)


爪村
つめむら

[現在地名]岐阜市爪・市橋いちはし下奈良しもなら

西庄にしのしよう村の南西に位置し、集落は西端を流れる論田ろんでん川に沿う。もとは西庄村に含まれ、元禄四年(一六九一)に分郷独立し、同年の加納藩検地によれば高四二一石余。元禄郷帳も同高を記す。江戸時代を通して加納藩領。寛政一一年(一七九九)の村明細帳(永田文書)によれば田高三〇六石余、上田一二町一反余・中田四町八反余・下田三町六反余・下々田二町一反余、畑高一一二石余、上畑三町九反余・中畑二町余・下畑二町二反余・下々畑五反余、屋敷一町八反余の純農村。家数五三(うち本百姓三三)・人数二三九、馬七。田畑の売買価額は一反が銀一〇匁から金三両まで。田は長良川から水を引き、稲の品種は主として越毛・古川・千子・小見農で、早稲も少し栽培した。


爪村
ひづめむら

[現在地名]松岡町樋爪

九頭竜くずりゆう川北岸にあって、東は為安ためやす村、北は友末ともすえ(ともに現坂井郡丸岡町)。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では坂北さかきた郡の「粟田島村」に含まれていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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