玉菊(読み)タマギク

デジタル大辞泉 「玉菊」の意味・読み・例文・類語

たまぎく【玉菊】

[1702~1726]江戸中期の遊女。江戸新吉原太夫をつとめ、才色兼備諸芸にすぐれた。

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精選版 日本国語大辞典 「玉菊」の意味・読み・例文・類語

たまぎく【玉菊】

  1. [ 一 ] 江戸中期、江戸新吉原の遊女。角町中万字屋勘兵衛方の遊女で、才色兼備で琴、三味線をはじめ諸芸に達し比類ない全盛をきわめた。元祿一一~享保一一年(一六九八‐一七二六)。
  2. [ 二 ] 歌舞伎所作事。富本。初世桜田治助作詞。名見崎徳治作曲。二世西川扇蔵振付。本名題繰返廓文月(くりかえすさとのふみづき)」。安永九年(一七八〇)江戸市村座初演。万寿屋の傾城玉菊と渡辺民部との踊り。
  3. [ 三 ] 歌舞伎脚本「星舎露玉菊(ほしやどるつゆのたまぎく)」および、その三幕目の清元「邯鄲軒端籠(かんたんのきばのかご)」の通称

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朝日日本歴史人物事典 「玉菊」の解説

玉菊

没年:享保11.3.29(1726.4.30)
生年元禄15(1702)
江戸中期の遊女。江戸新吉原角町中万字屋勘兵衛抱えの才色兼備の太夫で,河東節の三味線の名手として知られ,気前もよく人々から敬愛された。5代目奈良屋茂左衛門をパトロンとし,そのぜいたくな暮らしは数々の伝説を生んだが,大酒がたたり早世した。その新盆には吉原の茶屋の軒毎に灯籠が掲げられ,三回忌には河東節の名手十寸見蘭洲が竹婦人の新作「傾城水調子」を唄って追善供養した。灯籠供養の風は,その後「玉菊灯籠」と呼ばれ,家ごとに華美を競うようになり,吉原三大景物のひとつとなり,その事跡は歌舞伎「繰返廓文月」「網模様灯籠菊桐」などの作品に脚色されている。

(宇田敏彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉菊」の解説

玉菊 たまぎく

1702-1726 江戸時代中期の遊女。
元禄(げんろく)15年生まれ。江戸新吉原中万字屋の太夫。河東節(かとうぶし)の三味線にすぐれる。享保(きょうほう)11年3月29日死去。25歳。新盆に廓中の軒ごとにつるした灯籠がのちに玉菊灯籠とよばれ吉原の年中行事になった。三回忌には初代十寸見(ますみ)蘭洲が「水調子」をうたって追善供養した。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「玉菊」の解説

玉菊
(通称)
たまぎく

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
繰返廓文月 など
初演
安永9.7(江戸・市村座)

玉菊
たまぎく

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
明治27.7(東京・新盛座)

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