王様と私(読み)オウサマトワタシ

デジタル大辞泉 「王様と私」の意味・読み・例文・類語

おうさまとわたし〔ワウさまとわたし〕【王様と私】

原題The King and Iロジャース作曲、オスカー=ハマースタイン2世作詞脚本によるミュージカル。1951年、ブロードウエー初演マーガレット=ランドンの小説アンナとシャム王」に基づく。1952年にトニー賞受賞。

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共同通信ニュース用語解説 「王様と私」の解説

王様と私

1860年代のバンコクで、王様が王子らの教育係として招いた英国人のアンナと敵対しながら心を通わせる物語。オスカー・ハマースタイン2世が脚本を執筆、リチャード・ロジャースが作曲したミュージカルが、1951年にユル・ブリナー主演で初演され、映画化もされた。王様とアンナが2人で踊る「シャル・ウィ・ダンス」で知られる。

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デジタル大辞泉プラス 「王様と私」の解説

王様と私

①1951年ブロードウェイ初演のミュージカル。原題《The King and I》。音楽:リチャード・ロジャース、作詞・脚本:オスカー・ハマースタイン2世。マーガレット・ランドンの小説『アンナとシャム王』を原作とする。1952年に第6回トニー賞(ミュージカル作品賞)を受賞。初演時に王様を演じたユル・ブリンナーはトニー賞ミュージカル助演男優賞を受賞。
②1956年のアメリカ映画。原題《The King and I》。①のミュージカル版リメイク。監督:ウォルター・ラング、出演:ユル・ブリンナー、デボラ・カー、リタ・モレノ、マーティン・ベンソンほか。第29回米国アカデミー賞作品賞ノミネート。同主演男優賞(ユル・ブリンナー)、美術賞(カラー)、衣裳デザイン賞(同)、録音賞、ミュージカル映画音楽賞受賞。

王様と私

開高健による釣り旅行記。“王様”は「キング」と読ませる。「オーパ!」シリーズ第4弾として、著者がアラスカを訪ね、巨大なキングサーモンを追う。1987年刊行。写真高橋のぼる(「のぼる」の漢字表記は“日”の下に“舛”)。副題「オーパ、オーパ!!カリフォルニア・カナダ篇」。

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世界大百科事典(旧版)内の王様と私の言及

【ミュージカル】より

… しかしアメリカのミュージカルが都会的でしゃれた作品を多く生んだのは,ほぼ第2次大戦中までで,この時期に大きな変化が起こる。すなわち,ロジャーズが健康のすぐれないハートと仕事をすることをやめ,《ショー・ボート》の台本と詞を担当したハマースタインと組み,《オクラホマ!》(1943)をはじめとして《回転木馬》(1945),《南太平洋》(1949),《王様と私》(1951),《サウンド・オブ・ミュージック》(1959)などを発表したのである。これらはいずれも田舎や異国を舞台にし,滑稽さよりもまじめさによって訴える,ときには感傷的にさえなる作品であった。…

【レオノーウェンス】より

…1867年まで王子たちに英語を教え,少年時代のチュラロンコンの西洋文化理解に大きな影響を与えたとされる人物。自伝《シャム宮廷のイギリス人教師》(1870)に基づいたランドンMargaret Landonの小説《アンナとシャム王》(1945)はミュージカル《王様と私》に脚色され,ゆがんだモンクット像を世に広めた。1834年ウェールズ生れという定説は,最近の研究で1831年インド生れとされ,また夫も少佐でなく事務員であったことが明らかとなるなど,これまで信じられていた自伝の記述が訂正されるにいたっている。…

【ロビンズ】より

…58年と61年のスポレート音楽祭出演のために〈バレエUSA〉を創立したが,長続きせず,69年〈シティ・バレエ〉に復帰した。この間《王様と私》(1951),《屋根の上のバイオリン弾き》(1964)などミュージカルの演出,振付でも数々の成功をおさめた。その振付はモダン・ダンスにジャズ,ショー,社交ダンスの要素,手法を取り入れ,踊り手に高度の技巧を要求する。…

※「王様と私」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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