ナイジェリア、ヨルバ・ランド出身の劇作家、詩人、小説家、評論家。イバダン大学卒業後、イギリスのリーズ大学に留学し、教授のG・ウィルソン・ナイトからシェークスピア演劇の指導を受け、これが演劇に開眼するきっかけとなった。1957年に同大学を卒業し、58年にロンドンに出て、ロイヤル・コート・シアターで演劇の修業を積んだ。祖国の独立と同時に、1960年に帰国。この間、S・ベケットやH・ピンターの不条理演劇の世界にものめり込んでいった。帰国後、ただちに劇団「1960・マスクス」および「オリスン座」を結成し、イフェ、イバダン、ラゴスの各大学で教えながら、西洋演劇とアフリカ演劇との融合という壮大な実験演劇に取り組み、急激な近代化に伴う、アフリカの伝統的な生活様式とのギャップ、その不条理を痛烈に諷刺(ふうし)した。そんな劇作品に『沼地の住人たち』(1963)、『ライオンと宝石』(1963)、ヨルバ神話の神オグンを軸に据えてシェークスピアの『真夏の夜の夢』にヒントを得た『森の舞踏』(1963)、『道路』(1973)、『死と王の馬丁』(1975)、ブレヒトの『三文オペラ』を脚色した『オペラ・ウォニヨシ』(1981)、『未来学者のための鎮魂歌』(1985)、『ズイアから、愛を込めて』(1992)がある。1967年にナイジェリア市民戦争(ナイジェリア戦争)が勃発(ぼっぱつ)すると、反戦ヒューマニズムの立場から、連邦政府ゴウォン政権を批判するキャンペーンを展開し、1967年から2年間投獄された。この戦争体験から、詩集『地下室に閉じ込められたウソの鳥』(1972)、戯曲『狂人とスペシャリストたち』(1971)、小説『異変の季節』(1973)、獄中体験記『死んだ男』(1972)の四部作を出版し、「異常事態における人間の非合理性」を追求した。釈放後の1972年にイギリスに「自己追放」し、ゴウォン失脚後の1976年に帰国した。イバダン大学を経てイフェ大学演劇科主任教授となり、ナイジェリア演劇界の活性化に尽くし、F・オショフィーサンFemi Osofisan(1946― )らの後継者を育てた。1984年に同大学を辞した後も、祖国の政治腐敗やアパルトヘイトを非難する政治的発言が目だつ。1994年にアバチャ軍事政権を批判してロンドンに亡命し、1998年アバチャの死去後帰国した。
そのほかの作品に、詩集『イダンレその他』(1967)、『オグン・アビビマン』(1976)、『マンデラの大地』(1989)、『地域少年の美化』(1995)、小説に『通訳者たち』(1965)、自伝に『アケ』(1981)、『イサラ』(1989)、『イバダンの頃(ころ)』(1994)、評論集に『神話・文学・アフリカ世界』(1976)、『芸術・対話・暴力』(1988)、『大陸の開いた傷口』(1996)、講演集に『記憶の重荷』(1999)などがある。1986年にノーベル文学賞を受賞した。その翌年の87年(昭和62)に来日している。
[土屋 哲]
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ナイジェリアの劇作家,演出家,俳優。1954年から57年までイギリスのリーズ大学に留学,西欧演劇の理論と実際を学び,のちローヤル・コート・シアターの演出家となった。60年に帰国,イバダンを拠点に〈1960仮面劇団〉を,のちに〈オリスン劇団〉を組織するなど,近代演劇をアフリカに定着させた。西欧知性派の鬼才とうたわれるが,ヨルバ族神話の神々,特に生と死,創造と破壊の支配者オグンがつかさどる逆理的世界,仮面,太鼓,舞踊,儀礼など伝統演劇の手法を自在に取り入れている。代表作は《ライオンと宝石》《森の舞踏》《湿地の住人》《ジェロ師の試練》(いずれも1963)などで,ユーモアと風刺をきかせて新旧価値の衝突が描かれている。ほかに政治風刺小説《通訳者たち》(1965),ビアフラ戦争時の拘留体験記《死んだ男》(1972),評論集《神話・文学・アフリカ世界》(1976),自伝《アケ--幼年時代》(1981)など。イフェ大学比較文学教授でもあった。86年ノーベル文学賞を受賞。
執筆者:宮本 正興
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