開高健(読み)カイコウタケシ

デジタル大辞泉 「開高健」の意味・読み・例文・類語

かいこう‐たけし〔カイカウ‐〕【開高健】

[1930~1989]小説家大阪の生まれ。「裸の王様」で芥川賞受賞。ベトナム戦争取材など、行動派作家として活躍。他に「パニック」「輝ける闇」「夏の闇」など。

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精選版 日本国語大辞典 「開高健」の意味・読み・例文・類語

かいこう‐たけし【開高健】

  1. 小説家。大阪生まれ。昭和三三年(一九五八)「裸の王様」で芥川賞受賞。旺盛な行動力に支えられた視野の広い文学活動を展開した。著に「日本三文オペラ」「ベトナム戦記」「夏の闇」など。昭和五~平成元年(一九三〇‐八九

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20世紀日本人名事典 「開高健」の解説

開高 健
カイコウ タケシ

昭和期の小説家 芥川賞選考委員。



生年
昭和5(1930)年12月30日

没年
平成1(1989)年12月9日

出生地
大阪府大阪市天王寺区平野町

学歴〔年〕
大阪市立大学法学部〔昭和28年〕卒

主な受賞名〔年〕
芥川賞(第38回)〔昭和32年〕「裸の王様」,毎日出版文化賞(第22回)〔昭和43年〕「輝ける闇」,川端康成文学賞(第6回)〔昭和54年〕「玉、砕ける」,菊池寛賞(第29回)〔昭和56年〕,日本文学大賞(第19回 文芸部門)〔昭和62年〕「耳の物語」

経歴
高校時代、大学時代と一家の生活を支えるために各種のアルバイトをし、その間余暇をみつけて読書に没頭、また語学を独習。昭和25年同人誌「えんぴつ」に参加し、26年「えんぴつ」解散記念に謄写版で長編小説「あかでみあめらんこりあ」を刊行。28年「名の無い街で」を「近代文学」に発表し、30年現在の会に参加。29年寿屋(現・サントリー)宣伝部に入社し、コピーライターとして洋酒トリスの名作宣伝コピーを次々発表する一方、「洋酒天国」「サントリー天国」を編集。32年中編小説「パニック」を発表し、同年「裸の王様」で芥川賞を受賞。33年作家に専念するため寿屋を退職、以後38年まで嘱託を務めた。35年中国を訪問し、以後も新聞社や雑誌社の特派員として東欧、中東、ソ連など世界各地をまわった。39年戦乱のベトナムに半年間滞在、戦闘に巻き込まれ九死に一生を得た。この時の体験をルポルタージュ「ベトナム戦記」(40年)として発表した他、43年長編小説「輝ける闇」に結実させた。また、小田実鶴見俊輔らと共に呼びかけ人となり“ベトナムに平和を!市民・文化団体連合”(ベ平連)を結成。その後も行動派作家として、数多くのルポルタージュを書いたが、特にプロ級の腕前を生かした釣り紀行には「もっと遠く!」「もっと広く!」「オーパ」などの傑作がある。他の文学作品に「日本三文オペラ」「ロビンソンの末裔」「玉、砕ける」「夏の闇」「耳の物語」「珠玉」(3部作)「花終る闇」など。また、「開高健全集」(全22巻 新潮社)がある。没後、開高健賞が創設された。平成15年茅ケ崎市の仕事場兼自宅が茅ケ崎市開高健記念館として開館した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「開高健」の意味・わかりやすい解説

開高健(かいこうたけし)
かいこうたけし
(1930―1989)

小説家。大阪市生まれ。大阪市立大学法科卒業。戦後派文学の流れをくむ新世代の代表的存在で、敗戦のもたらした飢餓体験を原風景として執拗(しつよう)に抱え込んでいる作家の一人。学生時代に謄写印刷で長編『あかでみあ めらんこりあ』120部を刊行。卒業と同時に詩人の牧羊子(まきようこ)と結婚。1954年(昭和29)寿屋(ことぶきや)(現サントリー)宣伝部に入社。独自な広告コピーで注目され、PR誌『洋酒天国』を創刊編集。57年『新日本文学』に発表した『パニック』が文芸時評平野謙(けん)の激賞を受け、同年末、『文学界』に掲載の『裸の王様』で第38回の芥川(あくたがわ)賞を獲得。59年、大阪砲兵工廠(こうしょう)跡の通称アパッチ族を活写した『日本三文オペラ』を発表、以後、冤罪(えんざい)に取り組んだ『片隅の迷路』(1962)、戦争下の少年像を描いた『青い月曜日』(1965)、ベトナム戦争の苦悩に迫った『輝ける闇(やみ)』(1968。毎日出版文化賞受賞)、現代の濃密な空虚と格闘した『夏の闇』(1972)などの、アクチュアルな話題作を相次いで世に問うている。ほかに、川端賞の『玉、砕ける』を収めた短編集『歩く影たち』(1975)、ルポルタージュ『ベトナム戦記』(1965)、エッセイ集『饒舌(じょうぜつ)の思想』(1966)、作家論集『紙の中の戦争』(1972)などが注目される。釣魚紀行、探訪記、人物論集、対談集も多数ある。

[古林 尚]

『『開高健全作品』全12巻(1973~74・新潮社)』『『これぞ、開高健。』(『面白半分』増刊号・1977・面白半分)』『谷沢永一・向井敏・浦西和彦編『コレクシオン開高健』(1982・潮出版社)』


開高健(かいこうけん)
かいこうけん

開高健

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百科事典マイペディア 「開高健」の意味・わかりやすい解説

開高健【かいこうたけし】

小説家。大阪生れ。大阪市立大卒。サントリー宣伝部に勤務し,のち広告会社経営,コピーライターとして一時代を画す。1957年《裸の王様》により芥川賞,戦後文学の担い手の一人となった。ベトナム戦争を取材してベ平連の中心となるなど,旺盛な行動力で知られた。主著《パニック》《日本三文オペラ》《ベトナム戦記》《輝ける闇》《夏の闇》,釣の紀行文《オーパ!》,《開高健全作品》全12巻など。
→関連項目小田実鶴見俊輔増村保造

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「開高健」の意味・わかりやすい解説

開高健
かいこうたけし

[生]1930.12.30. 大阪
[没]1989.12.9. 東京
小説家。大阪市立大学法学部卒業。『裸の王様』 (1957) で芥川賞を受賞。前作『パニック』 (57) 同様,工業社会における「組織と個人」という現代的なテーマを扱っている。『日本三文オペラ』 (59) では,大阪の旧陸軍工廠跡の浮浪者,貧民群の生態を描いた。その後イスラエルのアイヒマン裁判を傍聴したり,ベトナムの戦場におもむくなど,国際的な幅広い活動で知られる。また小田実らとベ平連 (「ベトナムに平和を! 市民連合」) を起し,精力的に平和運動を進めた。『輝ける闇』 (68) ,『夏の闇』 (71) など,現代史に取材した力作がある。ほかに『ベトナム戦記』 (65) ,『破れた繭』 (86) ,『夜と陽炎 (かげろう) 』 (86) など。 1990年「開高健賞」が創設された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「開高健」の解説

開高健 かいこう-たけし

1930-1989 昭和時代後期の小説家。
昭和5年12月30日生まれ。昭和29年寿屋(現サントリー)に入社,広告コピーに才能を発揮。33年「裸の王様」で芥川賞。ベトナム戦争特派員の体験をもとに「輝ける闇(やみ)」「夏の闇」などを発表。ルポルタージュ,エッセイなども精力的に執筆した。牧羊子の夫。平成元年12月9日死去。58歳。大阪出身。大阪市立大卒。作品はほかに「日本三文オペラ」「もっと遠く!」など。
【格言など】成熟するためには遠まわりをしなければならない

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367日誕生日大事典 「開高健」の解説

開高 健 (かいこう たけし)

生年月日:1930年12月30日
昭和時代;平成時代の小説家
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の開高健の言及

【戦後文学】より

…彼らは三島由紀夫と同世代だが,この世代のうちで非政治的な立場で日常性の危機を文学化したのが〈第三の新人〉と呼ばれる安岡章太郎,吉行淳之介,小島信夫らであった。だが50年代の後半には,さらにその下の世代から大江健三郎,石原慎太郎,開高健,および評論家として江藤淳が登場した。 1960年代以降には経済成長による文学読者の増大とともに,旧来の〈純文学〉がそのままでは時代への適応力を欠くにいたり,平野謙の発言をめぐって〈純文学論争〉がおこなわれ,他方,マスコミの影響のもとに文学の拡散現象も指摘された。…

※「開高健」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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