王猛(読み)オウモウ

デジタル大辞泉 「王猛」の意味・読み・例文・類語

おう‐もう〔ワウマウ〕【王猛】

[325~375]中国五胡十六国時代の前秦政治家寿光山東省)の人。あざなは景略。苻堅ふけん仕え、前秦の富国強兵に努力した。桓温かんおん訪問を受けたとき、衣服シラミをとりながら時世を語ったことで有名。

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精選版 日本国語大辞典 「王猛」の意味・読み・例文・類語

おう‐もうワウマウ【王猛】

  1. 中国、五胡十六国時代前秦の宰相。字(あざな)は景略。苻堅(ふけん)に仕えて、富国強兵の内政を施し、将軍となって前燕を滅ぼした。(三二五‐三七五

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王猛」の意味・わかりやすい解説

王猛
おうもう
Wang Meng; Wang Mêng

[生]太寧3(325)
[没]寧康3(375)
中国,前秦の政治家。山東の人。字は景略。苻堅 (ふけん) に仕え,その即位後は最高の謀臣としての期待にこたえた。尚書令,都督中外諸軍事などとして前秦の実権を握った。五胡十六国を通じて屈指の政治家である。苻堅に東晋 (→) を討つべきでないことを遺言して死んだが,のち苻堅はそれに反して東晋を討ち,淝水 (ひすい) の戦いで大敗した。

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世界大百科事典(旧版)内の王猛の言及

【五胡十六国】より

…したがって漢族士大夫を登用して行政に当たらせることが行われ,聡明な胡族君主が有能な士大夫を信任して股肱とし,士大夫の方も君主の知遇を得て国事に身命を捧げた。石勒と張賓(?‐322),苻堅と王猛(325‐375)がその好例であり,そのようなとき国家は安定し繁栄した。しかし宗室による国軍の分統体制はしばしば内紛を生み,ついには政権の崩壊に結果した。…

【苻堅】より

…357年(永興1)暴君苻生(苻健の子)を殺して即位,大秦天王を称した。漢族士人王猛(325‐375)を信任して,氐族の政権を中国的王朝へ高めることに努めた。明堂を建て,藉田の礼を行い,学校を建設して儒学教育の振興を図り,また魏・晋以来の士族の戸籍を復活した。…

※「王猛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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