出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…したがって漢族士大夫を登用して行政に当たらせることが行われ,聡明な胡族君主が有能な士大夫を信任して股肱とし,士大夫の方も君主の知遇を得て国事に身命を捧げた。石勒と張賓(?‐322),苻堅と王猛(325‐375)がその好例であり,そのようなとき国家は安定し繁栄した。しかし宗室による国軍の分統体制はしばしば内紛を生み,ついには政権の崩壊に結果した。…
…357年(永興1)暴君苻生(苻健の子)を殺して即位,大秦天王を称した。漢族士人王猛(325‐375)を信任して,氐族の政権を中国的王朝へ高めることに努めた。明堂を建て,藉田の礼を行い,学校を建設して儒学教育の振興を図り,また魏・晋以来の士族の戸籍を復活した。…
※「王猛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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