前燕(読み)ゼンエン

精選版 日本国語大辞典 「前燕」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐えん【前燕】

  1. 中国、五胡十六国の一つ。三世紀末、鮮卑族の慕容廆(ぼようかい)創建。三三七年、子の皝(こう)が王を称し、以後華北中心進出、中国的国家体制をとり入れ国勢を拡大したが、三七〇年、三代で前秦の苻堅に滅ぼされた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「前燕」の意味・わかりやすい解説

前燕
ぜんえん
Qian-yan; Ch`ien-yen

中国,五胡十六国の一つ(337~370)。鮮卑族,慕容部(ぼようぶ)の建てた国。慕容廆のときに興り,棘城(ほくじょう。遼寧省)に居して西晋(→)に仕えていたが,その子慕容皝にいたって燕王と称し,咸康3(337)年竜城(遼寧省朝陽)を都とした。元璽1(352)年,その子慕容儁は薊城(北京)に移って帝と称し,冉魏(ぜんぎ)を滅ぼし,河南省磁県)に遷都。朝鮮,満州から山西,河南に及ぶ国家を形成して,369年東晋の将桓温の軍を撃破したが,まもなく内部分裂を起こし,前秦の苻堅に滅ぼされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「前燕」の解説

前燕
ぜんえん

337〜370
五胡十六国の一国で,鮮卑 (せんび) の慕容 (ぼよう) 氏の皝 (こう) が建国
東は高句麗 (こうくり) を討ち,丸都城 (がんとじよう) を陥れ,北東の夫余 (ふよ) を服して龍城(熱河)に都し,南満州を治めた。その子儁 (しゆん) のときに後趙を侵し,薊城 (けいじよう) (現在の北京)をとって都し,魏(冉魏 (ぜんぎ) )を滅ぼしてその都,鄴 (ぎよう) (河南)に遷った。儁の子喡 (い) のときに山東・河南を併合し,江北に雄飛したが,内紛のため前秦の苻堅 (ふけん) に滅ぼされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「前燕」の意味・わかりやすい解説

前燕 (ぜんえん)
Qián Yān

(五胡)

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世界大百科事典(旧版)内の前燕の言及

【燕】より

…慕容部は東北地方シラ・ムレン上流に起こり,西晋の滅亡を機に鮮卑系他部族や高句麗,扶余を制圧して遼東・遼西方面を支配した。4世紀半ば慕容儁(ぼようしゆん)(319‐360,在位348‐360)は後趙の内乱に乗じて河北地方に進入,薊城(北京付近)を首都として燕帝国を建てた(前燕。352‐370,のち鄴に遷都)。…

【五胡十六国】より

…しかし後趙もやがて混乱状態におちいった。これに乗じて遼西方面から鮮卑族慕容部が河北に侵入して国を建立した(前燕)。一方,関中方面には氐族の苻氏が興って,王朝を建てた(前秦)。…

【慕容儁】より

…中国,前の初代皇帝。慕容皝の第2子。…

※「前燕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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