琦善(読み)きぜん(英語表記)Qi-shan; Ch`i-shan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

琦善
きぜん
Qi-shan; Ch`i-shan

[生]?
[没]咸豊4(1854)
中国,清末の政治家。満州正黄旗の人。姓はボルジギト (博爾済吉特) 。字は静庵。諡は文勤。世襲一等侯爵。嘉慶 13 (1808) 年刑部員外郎となり,以後河南の按察使や布政使,河南や山東の巡撫,四川総督,直隷総督など歴任。協辧大学士から文淵閣大学士となった。道光 20 (40) 年対英交渉のため欽差大臣として広東におもむき,両広総督,粤海関監督に任じ,翌年敗戦 (アヘン戦争) によって川鼻仮条約の交渉にあたり処罪革職される。のち駐蔵大臣,四川総督,陝甘総督など歴任。咸豊1 (51) 年罪を得て吉林に流刑。太平天国の興起によって翌年河南巡撫となり,次いで欽差大臣として太平天国軍と交戦中に軍営で死亡。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


きぜん
(?―1854)

中国、清(しん)末の官僚。満州人。1808年刑部員外郎となり、ついで各地の巡撫(じゅんぶ)、総督を歴任。36年協弁(きょうべん)大学士、38年文淵閣(ぶんえんかく)大学士に任ぜられ、清廷屈指の実力者となった。アヘン戦争の際、欽差(きんさ)大臣として広東(カントン)に赴き平和解決を図って川鼻(せんび)でイギリス人エリオットと交渉を重ね、香港(ホンコン)の割譲を承認するなど大幅な譲歩を行った(川鼻仮条約)。これが北京(ペキン)政府の方針に反したため、官職剥奪(はくだつ)、財産没収、流刑に処せられた。のち、許されて官界に復帰、太平天国の鎮圧に従軍中、死去した。[西川喜久子]

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精選版 日本国語大辞典の解説

き‐ぜん【琦善】

中国、清末の官吏。満州正黄旗(八旗の一つ)の人。アヘン戦争に際し、欽差(きんさ)大臣としてイギリスの全権エリオットと交渉、川鼻(せんび)仮条約を結び、免職、流罪に処せられた。のち復帰したが、太平天国の乱を討伐中に死亡。一八五四年没。

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世界大百科事典内の琦善の言及

【アヘン戦争】より

…イギリス軍は広州,厦門(アモイ)を経て定海を攻略した後,北上して8月には天津に至り,G.エリオットは清朝政府に照会を送って,アヘン貿易の合法化,没収アヘンの賠償,領土割譲などの要求を提出した。清朝政府はこの問題を広州における地方的事件として処理せんとし,9月に直隷総督琦善(?‐1854)を広州での交渉に派遣し,イギリス軍も南下した。
[穿鼻仮協定と広州和約]
 1841年1月,イギリス軍は大角,沙角の砲台を突破し虎門に侵入した。…

※「琦善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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