瑞巌寺跡
ずいがんじあと
[現在地名]北波多村大字徳須恵字立園
徳須恵集落の南西、日岳の奥深い谷間にある。竜谷山と称す。中世、岸岳城城主波多氏の菩提寺で、その滅亡とともに廃寺となる。「瑞巌寺略伝記」に、
<資料は省略されています>
と記す。別記は、波多氏より六五〇石の寄進を受けたと伝える。
いま旧寺跡付近に四道・香堂の前・三反池などの地名が残る。廃寺後残った観音堂にあった観音像は牧谿の作とされ、寺沢氏が寺前を通るたびに馬が狂い落馬したので、観音の怒りであるとし、観音の首を下に向けさせたと伝えられる。
瑞巌寺跡
ずいがんじあと
[現在地名]北部町貢 寺ノ前
五丁中原集落の西、山の北裾にある。霊応山と号し、天台宗の寺院であったという。「国誌」には「古跡ト云ヘトモ不分明、廃跡ニ及シヲ、正徳元年大阿闍梨法印広朝再興之」とあり、「境内観音禅堂ニ地蔵、岩洞ニ出山ノ釈迦アリ」とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
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