日本大百科全書(ニッポニカ) 「田丸稲之衛門」の意味・わかりやすい解説
田丸稲之衛門
たまるいなのえもん
(1805―1865)
幕末期の志士。水戸藩士山国弥左衛門(やざえもん)の子、田丸直諄(なおあき)の養子。名は直允(なおまさ)。書院番組頭、目付(めつけ)を経て町奉行(ぶぎょう)。藩の天保(てんぽう)改革に功績あり。藩主徳川斉昭(なりあき)失脚中はその雪冤(せつえん)運動に挺身(ていしん)、1864年(元治1)藤田小四郎(こしろう)らと筑波(つくば)山に尊王攘夷(じょうい)を旗印に挙兵、筑波天狗(てんぐ)党の総帥となり、各地に転戦したが利なく、武田耕雲斎(こううんさい)らとともに上洛(じょうらく)する途中、越前(えちぜん)国(福井県)新保(しんぼ)で加賀藩に降伏、敦賀(つるが)で刑死。その性質は実直、軍学に通じていたという。
[秋山高志]