日本歴史地名大系 「田子島村」の解説 田子島村だごじまむら 石川県:能美郡川北町田子島村[現在地名]川北町田子島橘(たちばな)村の東、手取川下流北岸に立地。北は石川郡水島(みずしま)村(現松任市)に接し、南の粟生(あお)村(現寺井町)から手取川を渡った北陸街道が木呂場(ころば)を通る。村名は菓子・団子商売をしていた者が開発したことに由来するというが、団子右衛門なる郷士が開いたことによるともいわれる(川北村史)。集落は上田子島・下田子島に分れ、垣内に三津屋島(みつやじま)・阿多島(あだじま)・木呂場がある。下田子島の中丸家の伝承から判断して、遅くとも一五世紀中頃までには成立していたと思われる村で、村域も手取川南遷以前は広大なものであったと推測される。 田子島村たごじまむら 石川県:金沢市旧石川郡地区田子島村[現在地名]金沢市湯涌田子島町(ゆわくたごじままち)羽場(はば)村の西、浅野川上流左岸に位置する。一向一揆の将宇野次郎左衛門が要害を構えていたと伝える(加賀志徴)。また天正九年(一五八一)越中礪波(となみ)郡の刀利左衛門が河北(かほく)郡北袋の御新造(きたぶくろのごしんぞう)山に進出、白見の狐塚(しろみのきつねづか)などに砦を設けたのに対し、佐久間盛政は兵三千を率いて出陣、当地の半助、北袋の右衛門の協力によって刀利勢を背後より攻撃、越中に退走させたという(三州志)。正保郷帳では羽場村と併記され、両村合せて高一二九石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高九四石・免四ツ、ほかに山役一六二匁・炭役二九匁・綿役一匁の小物成があった(三箇国高物成帳)。 田子島村たこじまむら 新潟県:西蒲原郡岩室村田子島村[現在地名]岩室村栄(さかえ)北流する矢(や)川右岸にあり、南西は橋本(はしもと)村、東は新谷(あらや)村、西は尻引(しりひき)村。元禄郷帳に舟越(ふなこし)村枝郷として田子島新村とみえ、高一二一石五斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報