日本大百科全書(ニッポニカ) 「田村三省」の意味・わかりやすい解説
田村三省
たむらさんせい
(1734―1806)
江戸後期の会津藩士、愛石家。姓は田邨とも。若松城下の町家酒井伊右衛門忠知(いえもんただとも)の三男に生まれ、藩士田村清次右衛門(せいじえもん)の養子となり、その名を襲名。養父の跡七石二人扶持(ぶち)で吟味所(ぎんみしょ)支配無役となり、のち物書本役、塩方、郡役所勘定(かんじょう)などを勤める。1788年(天明8)幕府の奥羽・松前巡察に際し古川古松軒(ふるかわこしょうけん)と領内の遺跡を巡見し、94年(寛政6)江戸藩邸の再建に従事、翌年の藩政改革にあたっては物産方となる。1803年(享和3)藩撰(はんせん)『新編会津風土記(ふどき)』の編纂(へんさん)に従ったが、完成を待たずに没した。この間、領内の遺跡・遺物を踏査し、奇石を採集、120余に分類し、『会津石譜』二巻にまとめた。また藩命により、天明飢饉(てんめいききん)(1783~84)に際し諸国を巡回し、その惨状を後世に伝えるため、『孫謀録(そんぼうろく)』二巻(1785)を著述した。
[庄司吉之助]