田結村(読み)たゆいむら

日本歴史地名大系 「田結村」の解説

田結村
たゆいむら

[現在地名]飯盛町里名さとみよう川下名かわしもみよう池下名いけしもみよう古場名こばみよう

うら村の西に位置し、飯盛山松尾まつお岳を水源とする田結川が流れてたちばな湾に注ぐ。南部の古代の条里遺構は里名条里とよばれ、N四度Wの方位で、東西に二坪ほど、南北に四坪ほどが確認され、数詞坪地名二の坪にのつぼから六の坪ろくのつぼまで残っている。永禄元年(一五五八)より元亀元年(一五七〇)までの間と推定される八月二二日の有馬義直・同義純連署書状写(福田文書)に「田結之事、明日可打崩」とみえ、有馬氏が当地を攻撃しており、当時は伊佐早いさはやの西郷氏の勢力下にあったらしい。一五八九年(天正一七年)伊佐早に入った龍造寺家晴は裁きもなく家臣三名を浜辺に沿ったタインTáinという漁村で処刑しようとしたが、一人は逃亡してマタ司祭を頼ったという(フロイス「日本史」)。このタインは当地か。当地は古く岩瀬いわせ浦と称していたが、元亀元年暴風雨の襲来に際して何者かが刈取ったばかりの稲を竹で束ねていたことから被害は少なく、これを神の恩恵として田結に改称したという所伝がある。


田結村
たいむら

[現在地名]豊岡市田結

気比けひ村の北東に位置し、東は丹後熊野くまの蒲井かまい(現京都府久美浜町)、西は津居山ついやま湾、北は日本海に面する。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図には津居山湾に面した個所に「此所舟掛ナシ」と記されている。また気比村から当村に至り、丹後へ抜ける道が描かれ、国境に「此境ヨリ田結迄十九丁」「是ヨリ丹後蒲(井)村ヘ出、脇道難所、牛馬不通」とある。村名は古代の城崎きのさき田結たゆい(和名抄)の遺称とみられるが、中世田結たい郷・田結たい庄との関係は明確でなく、一部は気比庄(気比水上庄)気比村に含まれていた可能性が高い(→気比庄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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