田辺南鶴(読み)タナベ ナンカク

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田辺南鶴」の解説

田辺 南鶴(12代目)
タナベ ナンカク


職業
講談師

本名
柴田 久弥

別名
別名=三遊亭 金平,桃川 如水

生年月日
明治28年 8月2日

出生地
滋賀県

出身地
東京都

学歴
正則英語学校

経歴
16歳で2代目三遊亭金馬に入門、金平を名乗るが、のち講談に転じる。「講談研究」を発行、またキリスト教の伝尊講談も行った。

没年月日
昭和43年 6月23日 (1968年)

伝記
定本 寄席界隈艶噺 三遊亭 円右 著,林 秀年 編(発行元 三樹書房 ’10発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田辺南鶴」の解説

田辺 南鶴(12代目)
タナベ ナンカク

大正・昭和期の講談師



生年
明治28(1895)年8月2日

没年
昭和43(1968)年6月23日

出生地
滋賀県

出身地
東京

本名
柴田 久弥

別名
別名=三遊亭 金平,桃川 如水

学歴〔年〕
正則英語学校

経歴
16歳で2代目三遊亭金馬に入門、金平を名のるが、のち講談に転じる。「講談研究」を発行、またキリスト教の伝尊講談も行った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田辺南鶴」の解説

田辺南鶴(12代) たなべ-なんかく

1895-1968 大正-昭和時代の講談師。
明治28年8月2日生まれ。2代三遊亭金馬門下落語家から転じて,2代桃川如燕(じょえん),5代田辺南竜に師事し,昭和13年12代南鶴を襲名。28年から小冊子「講談研究」を主宰した。昭和43年6月23日死去。72歳。滋賀県出身本名は柴田久弥(きゅうや)。

田辺南鶴(初代) たなべ-なんかく

?-? 江戸時代後期の講談師。
武家の出身。神田辺羅坊寿観(べらぼうすかん)の門下で,師の芸名一部をとって田辺を称し,初代となる。軍談を得意とした。本姓田宮

田辺南鶴(3代) たなべ-なんかく

?-? 江戸時代後期の講談師。
武蔵(むさし)の浪人で,軍談を得意とした。夜の講演からの帰り道で辻強盗ふたりをきりふせ,江戸市中に武名をひびかせたという。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田辺南鶴」の解説

田辺 南鶴(12代目) (たなべ なんかく)

生年月日:1895年8月2日
大正時代;昭和時代の講談師
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田辺南鶴の言及

【講談】より

…貞山派から邑井(むらい)派の祖,邑井一(はじめ)が出た。田辺南鶴(なんかく)は田辺派を開き,弟子の南窓(なんそう)は無本で読む方法をとった。乾坤坊(けんこんぼう)良斎は作家的才能を示した。…

※「田辺南鶴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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