室町幕府の職名。申次とは取次のことで,申次衆は将軍に将士を取り次ぐことを任とし,数名で結番した。申次衆がはじめて置かれたのは6代将軍足利義教のときで,その職務は将士が参営して将軍に謁するとき,その姓名を報じ,謁を取り次ぐとともに,申次のさいの雑用をも行った。《長禄二年以来申次記》という室町時代中期に成立した武家故実書によると,大館教氏,伊勢貞藤,畠山教光らが任ぜられており,だいたい大館,畠山,伊勢,上野の各氏が申次の家として世襲化していった。このように家が固定化していくと,申次衆の行う職務や儀式もしだいに固定していき,三管領,御相伴衆,国持衆等の将士の将軍拝謁の次第,拝謁日,公家等の拝謁,儀礼もしだいに確定していった。関連史料としては大館尚氏の記した《長禄二年以来申次記》のほかに,伊勢貞遠の書いた《殿中申次記》がある(両書とも《群書類従》所収)。
→奏者
執筆者:伊藤 喜良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
室町幕府の将軍近侍の職名の一つ。将軍への対面や進物をはじめ諸事をとりつぐ役で,数名が結番(けちばん)して交代で殿中に出仕した。6代将軍足利義教(よしのり)の時期に整備され,おもに畠山・上野・一色・大館(おおだち)氏ら足利一門と政所執事伊勢氏一族により構成されたが,9代将軍義尚(よしひさ)以降は家柄の枠を破って任じられることもあった。申次当番は将軍御所への来訪者の名などを「殿中日々記」とよばれる申次日記に交代で記録し,その写本が伝わる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…室町・安土桃山時代の職名の一つ。室町幕府や諸大名家に置かれ,幕府の場合正式には申次(もうしつぎ)あるいは申次衆と呼ばれた。数名で結番して,殿中に伺候してきた諸士の姓名を告げ,謁せしめるのがその職掌であり,関係史料として《長禄二年以来申次記》や《殿中申次記》などがある。…
…江戸幕府の職制。君側にあって諸事を取り次ぐ人,またその役を奏者といい,室町幕府では申次衆のことをいった。織田氏,豊臣氏,開幕以前の徳川氏も奏者の役を置いた。…
※「申次衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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