申次衆(読み)モウシツギシュウ

デジタル大辞泉 「申次衆」の意味・読み・例文・類語

もうしつぎ‐しゅう〔まうしつぎ‐〕【申次衆】

室町幕府職名将軍御所に参上した者の名や用件などを取り次いだ役。また、その人。申し次ぎ。奏者そうしゃ

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精選版 日本国語大辞典 「申次衆」の意味・読み・例文・類語

もうしつぎ‐しゅうまうしつぎ‥【申次衆】

  1. 〘 名詞 〙 室町幕府の職名。将軍御所に参上した者の名や用件などを取り次ぐ役。また、その人。申次
    1. [初出の実例]「乱以後は御供衆も御対面所にて、申次衆同ごとく被御目也」(出典:長祿二年以来申次記(1509))

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改訂新版 世界大百科事典 「申次衆」の意味・わかりやすい解説

申次衆 (もうしつぎしゅう)

室町幕府の職名。申次とは取次のことで,申次衆は将軍に将士を取り次ぐことを任とし,数名で結番した。申次衆がはじめて置かれたのは6代将軍足利義教のときで,その職務は将士が参営して将軍に謁するとき,その姓名を報じ,謁を取り次ぐとともに,申次のさいの雑用をも行った。《長禄二年以来申次記》という室町時代中期に成立した武家故実書によると,大館教氏,伊勢貞藤,畠山教光らが任ぜられており,だいたい大館,畠山,伊勢,上野各氏が申次の家として世襲化していった。このように家が固定化していくと,申次衆の行う職務や儀式もしだいに固定していき,三管領,御相伴衆,国持衆等の将士の将軍拝謁の次第,拝謁日,公家等の拝謁,儀礼もしだいに確定していった。関連史料としては大館尚氏の記した《長禄二年以来申次記》のほかに,伊勢貞遠の書いた《殿中申次記》がある(両書とも《群書類従》所収)。
奏者
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「申次衆」の意味・わかりやすい解説

申次衆
もうしつぎしゅう

室町幕府の役職名。申次とは取り次ぐことを意味し、天皇家・将軍家に置かれていたが、室町時代に入って、取次役を務める家柄がしだいに固定化するにつれて、申次衆と呼ばれるようになった。6代将軍足利義教(よしのり)の永享期(1429~1441)に成立したといわれる申次衆は正月五箇日、節日など定められた日に殿中に出仕して、拝謁者の姓名を奏上したり、進上物の披露などを行った。室町中期には、大館(おおだち)、畠山、伊勢、上野の諸氏が申次の家として役職を世襲化するに至った(大館尚氏(ひさうじ)『長禄二年以来申次記』)。家格としては御部屋衆の次に位置づけられた。

[佐藤和彦]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「申次衆」の解説

申次衆
もうしつぎしゅう

室町幕府の将軍近侍の職名の一つ。将軍への対面進物をはじめ諸事をとりつぐ役で,数名が結番(けちばん)して交代で殿中に出仕した。6代将軍足利義教(よしのり)の時期に整備され,おもに畠山・上野・一色・大館(おおだち)氏ら足利一門と政所執事伊勢氏一族により構成されたが,9代将軍義尚(よしひさ)以降は家柄の枠を破って任じられることもあった。申次当番は将軍御所への来訪者の名などを「殿中日々記」とよばれる申次日記に交代で記録し,その写本が伝わる。

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世界大百科事典(旧版)内の申次衆の言及

【奏者】より

…室町・安土桃山時代の職名の一つ。室町幕府や諸大名家に置かれ,幕府の場合正式には申次(もうしつぎ)あるいは申次衆と呼ばれた。数名で結番して,殿中に伺候してきた諸士の姓名を告げ,謁せしめるのがその職掌であり,関係史料として《長禄二年以来申次記》や《殿中申次記》などがある。…

【奏者番】より

…江戸幕府の職制。君側にあって諸事を取り次ぐ人,またその役を奏者といい,室町幕府では申次衆のことをいった。織田氏,豊臣氏,開幕以前の徳川氏も奏者の役を置いた。…

※「申次衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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