日本歴史地名大系 「白糠村」の解説
白糠村
しらぬかむら
明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正四年(一九一五)まで存続した白糠郡の村。北から南東へ流下する茶路川の流域を中心に広がり、南東は太平洋に面する。近世にはシラヌカ場所、さらにクスリ場所のうち。明治初年に海岸のシラヌカなどの地を包含して成立。明治八年(一八七五)五月村名はシラヌカ村から白糠村と漢字に改められた(開拓使根室支庁布達全書)。同年四月、西半が分割されて
白糠村
しらぬかむら
大正四年(一九一五)から昭和二五年(一九五〇)まで存続した白糠郡の村。大正四年四月、白糠村・
白糠村
しらぬかむら
下北丘陵に発し太平洋に注ぐ
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に白糠村三八石余とあり、同年の郷村帳によれば三八・六八六石のうち二七・〇三三石が畑であった。天和二年(一六八二)惣御代官所中高村付には白糠村・老部村ともに独立村としてみえる。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には高二二石余、うち畑一八・二石余とあり、戸口は五九軒・三三三人。老部村は高一〇石余で白糠村に属すとある。享和三年(一八〇三)の仮名付帳には家数三七で、駅場とあり、老部村も独立村として家数一〇とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報