白鳥山城跡(読み)しらとりやまじようあと

日本歴史地名大系 「白鳥山城跡」の解説

白鳥山城跡
しらとりやまじようあと

[現在地名]芝川町内房

駿河・甲斐国境、現山梨県富沢とみざわ町との境にある標高五六七・七メートルの白鳥山山頂に築かれた戦国時代の山城。城取しろとり山ともいう。富士川が大きく蛇行する位置にあり、身延みのぶ道を見下ろす山頂からは四方眺望がきくので、物見・狼煙場としても格好の地であったと考えられる。大永六年(一五二六)に今川氏親が没し、子の氏輝が家督を継いだ頃から武田家との和睦亀裂が生じ、天文四年(一五三五)には武田信虎との対立が決定的となり、当城は同年七月から九月にかけての万沢まんざわ(現山梨県富沢町)の合戦では今川方の最前線基地となったとみられる(為和集)


白鳥山城跡
しろとりやまじようあと

[現在地名]津具村白鳥

標高九六八メートルの白鳥山頂にある。津具つぐ川との比高三〇〇メートル。西方一・四キロには津具城跡がある。「三河国二葉松」には津具村古城として「白鳥山城ト号、後藤善心、外ニ屋舗跡二ケ所アリ、是武田家人中村泰庵、長谷川勘左衛門トテ金掘ノ奉行ノ由」とあり、当初は後藤善心の居城と伝える。太田白雪の「三河合戦記」に載せる永禄五年(一五六二)の今川氏真判物に「去戌之冬三州津具於白鳥山令忠節之判有之候。其後武節之城ニ相籠候刻走廻シ依之設楽郡於田内村ノ内ニ徳分拾五貫文可進所務候」とあり宛名は渡辺平内次である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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