政教分離(読み)セイキョウブンリ

デジタル大辞泉 「政教分離」の意味・読み・例文・類語

せいきょう‐ぶんり〔セイケウ‐〕【政教分離】

政治と宗教の結びつきを切ること。宗教団体が政治に介入することも、また、国家が宗教団体や個人の信仰に干渉することをも禁止するという原則。

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精選版 日本国語大辞典 「政教分離」の意味・読み・例文・類語

せいきょう‐ぶんりセイケウ‥【政教分離】

  1. 〘 名詞 〙 政治と宗教の結びつきを切ること。信教の自由を確保するためにできた原則。祭政分離。
    1. [初出の実例]「政府は、諸外国の例なぞに鑑みて、政教分離の方針を執るに至ったのであらう」(出典:夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第二部)

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改訂新版 世界大百科事典 「政教分離」の意味・わかりやすい解説

政教分離 (せいきょうぶんり)

政教分離とは国家の非宗教性,宗教的中立性の要請,ないしその制度的現実化であり,これにより,宗教は公権力の彼岸に位置づけられ,〈私事〉として主観的内面性を保障される。

ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である。

 中世世界においては,国家と宗教(キリスト教)の区別は未知の事柄であった。すべての支配は神により立てられていると考えられ,皇帝と教皇はおのおの世俗的秩序と宗教的秩序を代表するのではなく,世俗的・宗教的に未分化な〈ひとつのキリスト教的世界〉のなかの異なる職分の同格の担い手であるとされた。これに対して,聖職叙任権闘争(1075-1122)は,〈精神的〉と〈世俗的〉の分離の原理的決定という意味をもつ。すなわち,神学者たちは宗教的・精神的なものはすべておのれの領分にあるとして,〈精神的〉と〈世俗的〉の分離を主張した。皇帝は教会から追放されて俗人になり,キリスト者としての義務の履行については教会の判断に従うべきであると説かれたのである。教皇グレゴリウス7世が皇帝ハインリヒ4世を破門するときには,彼は国王職にふさわしくないと述べたのに対して,カノッサで贖罪する皇帝を赦すとき,破門の政治的効果の廃棄=国王職への復職を問題にしなかったのは,この分離の進行を物語っている。

 〈精神的〉と〈世俗的〉の分離は,叙任権闘争当時のキリスト教的社会においては,精神的なものの優位=教会政治に帰結したが,教会の至上性の主張が政治と宗教の分離を前提とする以上,宗教と政治の関係は可逆的であったことに留意する必要がある。両者の分離は,論理的には,〈国家教会制〉と〈教会国家制〉という二つの相反する可能性を内包しており,教会の至上性の主張は国家主権の確立とメダルの表裏の関係にあったのである。この転換を促したのが,信仰分裂=宗教戦争である。これにより,キリスト教的世界は諸宗派が共通の政治秩序のもとで共同生活を営むことはいかにして可能であるか,という困難な問いに直面することになった。けだし,この衝突は,宗教問題であるのみならず,政治問題でもあったからである。純粋な福音をめぐる衝突は真理をめぐる衝突であり,妥協は許されないこと,異端者と邪宗徒は神への冒瀆者であり,これを罰することは世俗官憲の任務であることにおいて,カトリック,ルター派,改革派の見解は一致していた。かくして16,17世紀のヨーロッパは宗教的内乱の大波に襲われることになったが,この内乱こそ純粋な世俗国家を出現させる動因であった。宗派対立に起因する紛争は真理をめぐる衝突であり,かかるものとして永遠の闘争になる。それゆえ,平和と安全は政治が相争う宗派的諸立場を超越することによってしか回復されない,と考えられたのである。ナバールのアンリ4世はカトリックに改宗し,サリカ法典にもとづく王位請求権を行使したが,彼の行動の嚮導原理は支配の安定と国土の平和という政治的考慮であったから,まさに〈政治の勝利〉を意味していた。彼が国内平定後,ただちにナントの王令(1598)を発し,ユグノーに対して市民的諸権利の享受を保障したのは,その証左である。こうして,政治の優位が承認されることにより,すべての諸問題は宗教的真理への拘束づけから解放され,政治の可能性と制約に従属させられることになった。〈国教制度〉はその所産である。〈宗教の決定は真理の問題ではない。政治の問題である〉とされ,宗教の保障は政治的権力の決定に服すると説かれたのである。

 次にフランス革命は,国家と宗教の関係について,〈中立化〉という新たな展開を示した。〈人および市民の権利宣言〉(1789)によれば,国家は〈人の消滅することのない自然権を保全する〉という世俗的目的のための〈政治的団結〉であり,今や国家は神の喜捨や真理への奉仕にではなく,自由で平等な自律的個人の意思のうえに基礎づけられた。ここで予定されている個人は,信教の自由を有し,宗派にかかわりなく平等であることを保障されている,宗教から解放された世俗的存在である。こうして,宗教が社会に追放され国家から切断されることによって,政教分離は原理的に確立されたのである。

国家と宗教の結合は,信教の自由の保障にとって有益でないのみならず,国家権力との癒着による宗教の堕落,腐敗の危険を随伴しており,また,国家を宗教的対立にまきこむことにより国家に対する不信,憎悪を国民に生じさせ,国家自体の破壊を導くおそれがある。それゆえ,さしあたり,国家と宗教は分離されていることが望ましい,と考えられる。もっとも,近代立憲主義の諸憲法において国家と宗教の関係は決して一義的ではない。ごくおおざっぱに類型化するなら,第1に,イギリスのように,たてまえとしては国教制度が採用されているが,国教以外の宗教に対しても広範な宗教的寛容が認められることにより,実質的に信教の自由が保障されている国々,第2に,ドイツ連邦共和国のように,国家と教会はおのおのその固有の領域において独立しているとされ,教会は公法人として憲法上の地位を与えられ,その固有の領域の諸問題についてはそれぞれ独自に処理すべきであるが,競合事項に関しては,政教協約コンコルダート)を締結して,双方の合意にもとづいて処理すべきであるとされている国々,第3に,アメリカ合衆国やフランスのように,国家と宗教が完全に分離され,国法秩序にとって教会は原則として私法上の諸組織のひとつにすぎないとされている国々などがある。国家が宗教に対していかなる態度をとるかは,それぞれの国々の歴史的諸条件によってかなり相違があり,政教分離は,国民の信教の自由の保障から論理上必然的に帰結されるわけではないのである。それゆえ,政教分離にかかわる諸規定の解釈にあたっては,歴史的文脈のなかでこれを行うことが必要になる。

 日本国憲法は,国家と宗教の関係について,〈……いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない〉(第20条第1項)と述べるとともに,〈国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない〉(同第3項)と定めるが,あわせて,特に財政面から,〈公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のため……これを支出し,又はその利用に供してはならない〉(第89条)として,政教分離を裏づけている。そして,明治憲法下においては,信教の自由の保障(第28条)にもかかわらず,神権天皇制と神社神道の国教的地位とが密接不可分な関係にあったこと(この点において1945年12月15日の連合国総司令部の〈国教分離令〉と46年1月1日の天皇の〈人間宣言〉は日本の政教関係史にとって画期的できごとであった),日本では,言語と民族の単一性にもかかわらず,非常に多種多様な宗教が併存していること,それゆえ,国民主権原理の貫徹と信教の自由の実効的保障とにとって政教分離の徹底が不可欠であることなどの歴史的諸事情にかんがみて,上記日本国憲法の諸規定はできるかぎり厳格に解釈されるべきであると考えられる。すなわち,神社神道を公法人としたり,神官・神職に公務員の地位を与えたりすることは,憲法に違反する。宗教団体は,立法権,行政権,裁判権,課税権など,国が独占すべき統治的権力はいっさい行使することができない。国およびその機関は,特定宗教の布教,教化,宣伝を目的とする積極的行為にとどまらず,祈禱,礼拝,儀式,祝典,行事など,およそ宗教的信仰の表現としてなされるすべての行為を,少なくとも当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進,圧迫,干渉になるかぎりで,禁止されている。したがって,内閣総理大臣などが就任,奉答等の名目で靖国神社伊勢神宮などに参拝することには,憲法上の疑義が生じる余地があろう。
叙任権闘争
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「政教分離」の意味・わかりやすい解説

政教分離
せいきょうぶんり

国家と宗教とを分離させる憲法上の原則をいう。中世および近世ヨーロッパにおいては、国家と教会、国権と教権が密接に結合していたため信教の自由が認められず、国教または公認の宗教以外は異端として刑罰を含む迫害を受けた。17、18世紀ごろから宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度がしだいにヨーロッパ社会に広まり、現代国家においては、政教分離は信教の自由の保障のための憲法原則として広く採用されることになった。

 わが国では、大日本帝国憲法(明治憲法)で信教の自由を認める規定を有していたが、神社神道(しんとう)が実質上国教の扱いを受け、また神道各派および仏教各宗も国家の特別の保護を受けた。現行憲法は信教の自由とともに、厳格な政教分離の原則を定め、宗教法人をはじめとするいかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならないこと、国およびその機関は、宗教教育や宗教的活動をしてはならないこと(憲法20条)、および公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のために、これを支出しまたはその利用に供してはならない(憲法89条)ことを定めている。

 これまでに問題となった具体的な例としては、国の助成を含む靖国神社法案(1969年成立)、閣僚の同神社への公式参拝などの靖国神社問題、創価学会の信者を母体とする政党である公明党の政教分離問題(1970)などが議論された。また、三重県津市で公共施設が建設される際の地鎮祭の公費支出について、下級審は違憲の判決を下した(津地鎮祭訴訟)。しかし1977年(昭和52)、最高裁判所大法廷判決では地鎮祭の宗教行事性を否定し、わが国古来の習俗としてこれを合憲とした。以後、この判決は判例として定着した。

[山野一美]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「政教分離」の意味・わかりやすい解説

政教分離
せいきょうぶんり

政治と宗教は分離されるべきであるという考え方。 (1) アメリカ合衆国では,憲法上の原則となっている。教会と国家の分離原則 Separation of Church and Stateともいう。この原則は,信教の自由あるいは宗教の自由を保障することを目的とするものである。独立前のアメリカにおいては,ヨーロッパ大陸における宗教的迫害を逃れて来た人々が多かったために,とりわけ宗教の自由の保障が要請された。アメリカ合衆国の独立後は 1789年に憲法修正条項として制定された権利章典 Bill of Rightsの修正第1条によって,イギリスのように国家が特定の宗教を国教とすることが禁止され,また国家による宗教活動の規制も禁止された。この修正第1条は,単純に信教の自由を保障するというものではなく,国家の宗教への介入,国家事項への宗教=教会の介入をともに禁止する,いわゆる政教分離の考え方をとるものとされている。 (2) 日本国憲法においては,その第 20条1項後段に記述されている。これはかつての国家神道を想定したものであるが,その具体的内容としては,国が特定の宗教団体に政治的または経済的特恵を与えないこと,および国や国の機関が宗教教育その他の宗教活動をしないことなどがあげられる。第2次世界大戦後の日本の政治史においては宗教政党における政教分離が問題となった。 1964年に創立された公明党は,創価学会を母体にしている。しかし,69年から 70年にかけて言論出版妨害問題が起り,学会と党の癒着が世論のきびしい批判を浴びた。この批判にこたえて公明党は政教分離の方針を打出し,所属議員の学会役職兼任を解き,学会は党の支持団体にとどめるなどを明らかにした。学会側も池田会長が 70年5月の本部総会で,学会と党を制度上,機能上完全に分離することを宣言した。しかし,学会と党との緊密な関係は依然として続いている。

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百科事典マイペディア 「政教分離」の意味・わかりやすい解説

政教分離【せいきょうぶんり】

国家権力と宗教を分離すること。信教の自由の必要条件をなす。未開社会,古代・中世社会では政治と宗教が一体となり宗教的権威によって支配が行われた。明治憲法は現人神(あらひとがみ)である天皇が臣民を統治する祭政一致の原理に立っていた。現行憲法はこのような宗教と国家の結びつきを断ち切り,宗教団体は国から特権を受け,または政治上の権力を行使してはならず,国は宗教活動をしてはならないと規定する(憲法20条)。創価学会を母体とした公明党の政教分離問題,内閣総理大臣などの靖国神社伊勢神宮などへの参拝問題などが論議されている。
→関連項目教誨師国教宗教法藤林益三

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知恵蔵 「政教分離」の解説

政教分離

国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。国家と宗教とが未分化で明確に区別されていなかったり、両者が密接に結合している場合、個人の信教の自由は認められない。その意味で、政教分離と信教の自由は表裏一体の関係にある。政教分離の思想は欧米で生まれたもので、近代化と共に非キリスト教国にも浸透していった。日本では明治以来、国家と神道が結びついていたが、第2次大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)による神道指令(1945年)で、国家と神道が分離された。政教分離が本格的に確立したのは、戦後発布された日本国憲法においてである。そこでは、宗教団体が国から特権を受けたり、政治上の権力を行使することが禁止され(20条)、財政面でも宗教団体への公金支出が禁止されている(89条)。しかし、首相や閣僚の靖国神社公式参拝に代表されるように、政教分離原則に抵触するとして問題となる事例も少なくない。また、外郭の政治団体を組織する新宗教団体もあり、選挙時には新宗教団体の集票能力に期待する政治家がいるという現実もある。

(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)

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四字熟語を知る辞典 「政教分離」の解説

政教分離

政治と宗教の結びつきを切ること。信教の自由を確保するためにできた原則。祭政分離。

[活用] ―する。

[使用例] おそらく祭政一致の行われがたいことを知った政府は、諸外国の例なぞに鑑みて、政教分離の方針を執るに至ったのであろう[島崎藤村*夜明け前|1932~35]

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世界大百科事典(旧版)内の政教分離の言及

【アメリカ合衆国】より

…さらに黒人教会は差別撤廃の政治活動の拠点となり,この伝統は1960年代のキング牧師を指導者とする公民権運動にひきつがれる。 移民の次にアメリカの宗教を特徴づけているのは,建国以来政教分離の原則が確立し,信教の自由が憲法によって保障されていることである。これは1620年のピルグリム・ファーザーズをはじめ,宗教的理由で迫害された人々が,信仰の自由を求めて移住してきた伝統による。…

【信教の自由】より

…宗教的抗争への反省から寛容思想が力を得,国家理念が世俗化して国家の宗教的意味づけを考えなくなるに及んで,国家と宗教は分離し,特定宗教に対する公権力の支持も圧迫もなくなった。それゆえ〈信教の自由〉と〈政教分離〉は不可分である。寛容【渡辺 信夫】
【近代以降】
 17,18世紀のヨーロッパやアメリカの市民革命の憲法思想においては,国家は世俗的利害にかかわり,宗教的関心(魂の救済)にはかかわりえないし,かかわってはならないと考えられた。…

【津地鎮祭訴訟】より

…第二審の名古屋高等裁判所は起工式を違憲と判決したが,最高裁判所は8対5で合憲と判決した。すなわち,その多数意見によれば,〈政教分離〉の対象となる国家と宗教の間には社会的文化的条件からある程度のかかわりあいを認めざるをえない。〈信教の自由〉の確保という根本目的との関係でそのかかわりあいが許されない場合と限度をみつけることが問題である。…

※「政教分離」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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