1941年1月、中国、安徽(あんき/アンホイ)省南部(皖は安徽省の略称)で発生した国民党軍による共産党軍襲撃事件。新四軍(しんしぐん)事件ともいい、抗日戦争中最大の国共武力衝突であった。当時、国民党との話し合いにより、揚子江(ようすこう)以北へ移動中の新四軍江南部隊約9000は、突然国民党軍約7万の包囲、攻撃を受け、9日間の激戦のすえ、兵6000余を失い、中国共産党東南局書記項英(こうえい/シアンイン)は殺害、軍長の葉挺(ようてい/イェティン)は捕虜となるなど大打撃を被った。当時、国民党は、中国共産党の活動を極力黄河以北に封じ込めようとし、中国共産党側は、「独立自主」の遊撃戦と解放区拡大を目ざして活動していた。この事件は、そのような国共対立のなかで起きたものであるが、項英自身についても、王明(おうめい)(陳紹禹(ちんしょうう/チェンシャオユー))路線との関係で、新四軍指導上の責任が問われている。中国共産党は3月の第二期国民参政会への出席を拒否するなど、国民党に対する強い抗議の意志を示したが、国共間の完全な決裂にまでは至らなかった。
[安井三吉]
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