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新四軍 しんしぐんXin-si-jun

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

新四軍
しんしぐん
Xin-si-jun

中国の国民革命軍新編第四軍の略称。 1934年 10月紅軍主力が長征に出発後,華中,華南の紅軍残存部隊はなおゲリラ戦を続けていた。抗日民族統一戦線成立後,37年8月蒋介石の率いる国民政府のもとに,紅軍主力が国民革命第八路軍に編成されたのに続いて,同年 10月これら華中,華南の紅軍を主力として国民革命軍新編第四軍が編成された。葉挺を軍長,項英を副軍長兼政治委員とし,38年1月には南昌に司令部をおき,兵力は1万 300を擁した。その後,日本軍,国府軍の勢力が錯綜するこの地域で発展を続け,40年末には兵力約 10万に達した。しかし,39年から国共対立が急速に激化し,ついに 41年1月7日新四軍は安徽省 涇県で国府軍により,反乱のかどで攻撃され,9000人の部隊は壊滅的な打撃を受け,葉挺は捕えられ,項英は戦死した (皖南事変) 。そこで国府は同月 17日新四軍の編成を取消した。中国共産党はただちに陳毅を代理軍長,劉少奇を政治委員として,新四軍の再建,拡大に努め,45年には兵力 26万 8500人に達した。華北の八路軍,華南の抗日縦隊とともに華中の新四軍は,抗日戦争期の党軍事力の重要な支柱であった。 46年7月全面的な国共内戦の勃発に伴い,新四軍は人民解放軍の華東野戦軍に編成され,48年秋,中国人民解放軍第3野戦軍と改称された。

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百科事典マイペディアの解説

新四軍【しんしぐん】

1937年10月に華中で新編制された中国共産党軍。正式名は国民革命軍新編第四軍。抗日戦に活躍。軍長は中国共産党の葉挺。1941年の皖南(かんなん)事件で国民党軍により打撃を受けたが,のち再建され,1945年には兵力約27万に至った。
→関連項目抗日戦争中国共産党陳毅劉少奇

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世界大百科事典 第2版の解説

しんしぐん【新四軍 Xīn sì jūn】

中国共産党の国民革命軍新編第四軍の略称。1937年日中戦争の勃発で国共再合作となり,紅軍は国民革命軍に改編されたが,紅軍主力が長征で北上したのち,華中華南の根拠地に残留して遊撃戦を続けていた部隊を集めて新四軍(兵力1万2000。4ヵ支隊。軍長葉挺,副軍長項英)とした。国共関係が悪化すると,41年1月新四軍司令部は安徽省南部で国民政府軍に包囲され,9000人が全滅,葉挺は捕虜となり項英は戦死した(皖南事変)。

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大辞林 第三版の解説

しんしぐん【新四軍】

1937年の第二次国共合作により国民革命軍新編第四軍として編入された華中地域の中国共産党軍。41年の皖南かんなん事件で大打撃を受けたが、陳毅ちんきを中心に再建、華北の八路軍とともに抗日戦に活躍。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新四軍
しんしぐん

中国、長江(チャンチヤン)中・下流を作戦地区とした中国共産党軍。1934年、紅軍が長征に出たあと、華中(かちゅう)、華南(かなん)に残って遊撃戦を続けた部隊に、国民党政府が37年10月、国民革命軍新編第四軍の部隊番号を名のらせた。この略称が新四軍である。軍長に葉挺(ようてい/イェティン)、副軍長に項英(こうえい/シアンイン)が任命された。41年1月、江南の新四軍の江北移駐に対し、突如国民党軍が攻撃、葉挺は逮捕され、項英は戦死した。これを皖南(かんなん)事件または新四軍事件という。このあと共産党軍は陳毅(ちんき/チェンイー)を軍長に、張雲逸(ちょううんいつ)を副軍長、劉少奇(りゅうしょうき/リウシャオチー)を政治委員として再建に努め、前にも増して強大なものとした。抗日戦終了後の国内革命戦争では華東野戦軍として活躍した。[安藤彦太郎]

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世界大百科事典内の新四軍の言及

【紅軍】より

… 貴州,雲南,四川など11省を迂回した紅軍は35年10月第1陣の第1方面軍が陝西北部に到着,新たな根拠地をつくったが,総兵力は3万に減っていた。中共は35年8月1日,一致抗日宣言を発表して,抗日民族統一戦線結成の新方針を定め,36年12月の西安事件を契機に国共停戦へと進んだが,37年7月日中戦争勃発を機に国共再合作が成り,紅軍は華北の部隊が八路軍(正しくは国民革命軍第八路軍)に,華中に残留した部隊が新四軍(正しくは国民革命軍新編第四軍)に改編された。中国人民解放軍【宍戸 寛】。…

【抗日戦争】より

…8月下旬,工農紅軍の主力3万は国民革命軍第八路軍(八路軍と略称され,のちに第十八集団軍とも称した)に改編されて華北の抗日の前線に出撃した。9月には国共合作が正式に成立,10月,南方各省の紅軍遊撃隊も集中して新編第四軍(新四軍と略称される)を編成して華中の前線に出た。両軍は遊撃戦を主として運動戦と結合する戦術をとり,進撃する日本軍の後方に入って抗日根拠地を建設した。…

【中国人民解放軍】より

… 37年7月蘆溝橋事件が起こり日中戦争が始まると第2次国共合作が実現し,紅軍は国民革命軍第八路軍,新編第四軍に改編された。華北の八路軍,華中の新四軍はいずれも日本軍が占領した広大な敵後方の地域に進出して,主として遊撃戦を展開して根拠地を建設し,日中戦争後期には在華日本軍の64%,傀儡(かいらい)軍(親日政権軍)の95%を相手とするまでに発展した。37年の正規軍4万余,支配下人口300万から45年には正規軍90万,民兵220万,根拠地数19,支配下人口1億の勢力に発展し,人民を起ち上がらせ,人民の力に依拠して戦う人民戦争の威力を発揮した。…

【陳毅】より

…紅軍が中央根拠地を放棄した後,項英とともに残留部隊を指導,広東,湖南省境地区で3年の苦難の遊撃戦争を続けた。37年国共合作で新四軍が編成されると,各地の残留紅軍を糾合する任にあたり,第1支隊司令に任ぜられ,江蘇省南部に茅山根拠地を建設した。40年には粟裕らをひきいて,長江(揚子江)北岸地区に進出,10月黄橋の戦で国民党政府軍の韓徳勤軍を破り,江北根拠地を固めた。…

※「新四軍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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