日本歴史地名大系 「益富保」の解説
益富保
ますとみほ
近世の
永享三年(一四三一)に起こった領家鷹司家と地頭中島隆信との相論について記す「御前落居記録」などによれば、当保は永徳三年(一三八三)から粟田口長嗣により代官請が行われていたが、応永一三年(一四〇六)守護請となって、守護代二宮信濃入道が知行していた。しかし、同二一年加賀守護斯波満種が将軍足利義持の怒りに触れて失脚、富樫氏が守護に復帰した際に隆信が将軍家から地頭職の御判を得た。このとき隆信は地頭進止の地と号して領家への年貢一〇〇貫文を収めると約束しながらも、翌年から五〇貫文を押領した。
益富保
ますとみほ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報