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相良氏法度 さがらしはっと

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世界大百科事典 第2版の解説

さがらしはっと【相良氏法度】

戦国時代,肥後国球磨,葦北,八代の3郡を領した大名相良氏の分国法。1493年(明応2)4月22日付の為続法度(7ヵ条),制定年月不明の長毎法度(13ヵ条)と1555年(弘治1)2月7日付晴広法度(22ヵ条)からなり,前2者は1549年(天文18)5月に晴広によりその効力を再保証された。この時期の相良氏の法は,相良氏によって制定されるものと,相良氏の支配領域の3郡それぞれの小領主たちによって結ばれた郡中惣によって起草され,彼らの主人相良氏の承認によって制定されるものとがあったが,晴広法度は前者,為続・長毎法度は後者に属するものと想定される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

相良氏法度
さがらしはっと

肥後(ひご)国(熊本県)の戦国大名相良氏の家法。相良為続(ためつぐ)、長毎(ながつね)、晴広(はるひろ)3代により制定され、41条よりなる。為続法度は7か条であり、1493年(明応2)の制定。長毎法度は13か条で、制定年次不明。晴広法度は21か条で、1555年(弘治1)の制定である。内容は、田地売買、主従関係、用水規定など具体的であるが、相良氏の支配構造を反映して、在地の小領主層の連合体が相良氏当主を制約するという一揆契状(いっきけいじょう)的性格を濃厚にもつ。また、晴広法度にある一向(いっこう)宗の禁止、僧侶(そうりょ)、神主、山伏以外の者が祈念することを禁止したこと、逃亡者を留め置いた者に対する科料の規定は、江戸時代にも遵用された形跡があり、ほぼ2世紀にわたって規定が生きていたという点で、戦国家法中特異なものである。『大日本古文書 家わけ5』(相良家文書1)所収。[清水久夫]
『佐藤進一他編『中世法制史料集 第3巻 武家家法』(1965・岩波書店) ▽石井進他編『日本思想大系21 中世政治社会思想 上』(1972・岩波書店) ▽勝俣鎮夫著『戦国法成立史論』(1979・東京大学出版会)』

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