デジタル大辞泉
「県犬養橘三千代」の意味・読み・例文・類語
あがたいぬかい‐の‐たちばな‐の‐みちよ〔あがたいぬかひ‐〕【県犬養橘三千代】
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県犬養橘三千代
あがたのいぬかいのたちばなのみちよ
[生]?
[没]天平5(733).1.11. 奈良
県犬養連東人の娘。県狗養とも書く。初め敏達天皇の玄孫美努王 (みぬおう) と結婚し,葛城王 (橘諸兄) ,佐為王らを生み,のち藤原不比等と再婚し,安宿媛 (あすかべひめ,光明子) ,多比能を生む。また内命婦 (うちのみょうぶ) として天武~聖武天皇の歴朝に仕え,その功により,和銅1 (708) 年,元明天皇より橘宿禰 (すくね) の姓を賜わった。元来は中流貴族の出身であったが,不比等と結び女官として宮廷に大きな影響力をもった。不比等の一女宮子を文武天皇の夫人とし,その子,首 (おびと) 皇子 (聖武天皇) に自分の娘光明子をとつがせ,皇親の反対を排して光明子の立后に成功した。さらに葛城王に多比能を配するなど,天皇家との婚姻関係を固めつつ,それを背景として藤原,橘両氏隆盛の基礎をつくった。養老1 (717) 年従四位上から従三位に,同5年正三位に叙せられ,のち出家した。天平5 (733) 年没すると聖武天皇は高安王をつかわされて喪事を監護し,散一位に准じた葬儀を賜わった。同年従一位,天平宝字4 (760) 年正一位,大夫人を追贈。『万葉集』巻十九に「太政大臣藤原家の県犬養命婦,天皇に奉れる歌一首」があり,また法隆寺には伝橘夫人厨子が伝わる。橘宿禰の姓は三千代の死後,葛城王と佐為王に受継がれた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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県犬養橘三千代
あがたいぬかいのたちばなのみちよ
(?―733)
天武(てんむ)朝から元正(げんしょう)朝の5代に歴仕した、古代屈指の有力女官。父は東人(あずまひと)。初め美努(みの)王に嫁し、葛城王(橘諸兄(たちばなのもろえ))、牟漏(むろ)女王らを産み、藤原不比等(ふひと)に再嫁して光明子(こうみょうし)を産む。持統(じとう)、元明(げんめい)、元正3女帝の信任を受け、文武(もんむ)、聖武(しょうむ)の養育、宮子(文武夫人)・光明子(聖武皇后)の入内(じゅだい)に功があり、708年(和銅1)には元明よりとくに橘姓を賜った。夫不比等の政界制覇を側面から助け、その次男房前(ふささき)に娘牟漏を嫁がせ、一族県犬養氏を引き立て、広刀自(ひろとじ)を聖武夫人に周旋し、わが子葛城王の出世を図るなど八面六臂(ろっぴ)の活躍をした。元明の崩御後、出家入道。760年(天平宝字4)正一位大夫人を贈られた。
[黛 弘道]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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県犬養橘三千代 あがたのいぬかいのたちばなの-みちよ
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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