真勝寺(読み)しんしようじ

日本歴史地名大系 「真勝寺」の解説

真勝寺
しんしようじ

[現在地名]柳川市新町

しん町の南にある。田中山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。江戸時代には柳川城下南東端にあたり、西の細工さいく町三丁目から東の当寺門前まで参道が延びている。もとは御井みい仁王丸におうまる(現北野町)にあり、真教しんきよう寺と号していたが、文禄元年(一五九二)立花親成(宗茂)が柳川城下大屋おおや小路に寺地を与えて移したとされる(「真勝寺之記」真勝寺文書)。同五年親成から三ヵ条からなる置目(同文書)を与えられ、三郡中の惣道場とされた(年不明一〇月二八日「立花賢賀・小野鎮幸連署奉書」同文書)


真勝寺
しんしようじ

[現在地名]今立町横住

横住よこずみの中央西側山麓にある。浄土真宗本願寺派。服部山と号し、本尊は阿弥陀如来。寺伝によると、元久二年(一二〇五)開基祐玄が足羽あすわ和田中わだなか(現福井市)草庵を結んだが、寛正年間(一四六〇―六六)兵火にかかり、現在地に移転したという。天正一九年(一五九一)の本覚寺末寺(本願寺文書)に真勝寺とみえるのは当寺かと思われるが、慶長三年(一五九八)の服部内横住村御検地帳(内藤家文書)には道場とのみ記され、寺号はみえない。


真勝寺
しんしようじ

[現在地名]中里町中里 亀山

中里集落の北端にあり、東松山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。もと十三じゆうさん(現市浦村)願龍がんりゆう寺末。

草創は寛文五年(一六六五)越前国憶念寺住職良誓の次男東山誓順の開基(「奥州津軽惣法中草創寺別帳」市立弘前図書館蔵)、正徳三年(一七一三)本尊ならびに寺号免許を受けたという(中里町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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