埼玉県中央部にある市。1954年(昭和29)比企(ひき)郡松山町と大岡(おおおか)、唐子(からこ)、高坂(たかさか)、野本(のもと)の4村が合併、市制施行。東武鉄道東上線が南北に走り、関越自動車道の東松山インターチェンジがあり、国道254号、407号が通じる。南北に比企丘陵、中央に都幾(とき)川の沖積平野が広がる。中世松山城の城下町として発足し、江戸時代は日光裏街道の宿場町で、5、10の日に市(いち)が立つ市場町も兼ねていた。明治以後は地方の一中心にすぎなかったが、1923年(大正12)東上線が通じ、1939年(昭和14)ヂーゼル機器(現、ボッシュ)松山工場が招致されてから活気を帯びた。今日では熊谷(くまがや)、川越(かわごえ)方面にかけて工場が増加し、また東上線の複線化に伴い、しだいにベッドタウン化している。丘陵地帯には史跡や名勝が多く、県立比企丘陵自然公園に含まれる。おもな史跡、観光地として、箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)、松山城跡、国指定史跡の大谷瓦窯跡(おおやかわらかまあと)などがある。面積65.35平方キロメートル、人口9万1791(2020)。
[中山正民]
『『東松山市の歴史』全8巻(1981~1986・東松山市)』
埼玉県中央部にある比企地方の中心都市。1954年松山町と大岡村など3村が合体,市制。人口9万0099(2010)。北部および南西部は比企丘陵に続く丘陵地で,中央部は関東ローム層の台地からなり,南部を都幾(とき)川,越辺(おつべ)川が流れる。東武東上線,関越自動車道が通じる。松山は江戸時代には宿場町,市場町として栄え,5・10の六斎市が立った。農業は米作と養蚕を中心としたが,いまは梨の栽培も盛んである。1939年,ジーセル機器(現,ゼクセル)の自動車工場が進出してからは工業化が進んだ。第2次大戦後,唐子(からこ)地区の工業団地が造成され,自動車部品,電気,食品関係の工場の進出が相次いだ。近年住宅地化も進んでいる。岩殿丘陵に1967年に大東文化大学が進出,80年には近くに埼玉県こども動物自然公園が開設された。《原爆の図》を展示する丸木美術館があり,93年には高坂地区に埼玉県平和資料館も開設された。
執筆者:新井 寿郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…武蔵国比企郡の中心部(現,埼玉県東松山市)。松山本郷ともいう。…
※「東松山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加