デジタル大辞泉
「真土山」の意味・読み・例文・類語
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まつち‐やま【真土山・待乳山】
- [ 1 ]
- [ 一 ] 奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある真土峠の古称。紀州街道の峠道が通じる。歌枕。
- [初出の実例]「あさもよし 紀伊道(きぢ)に入り立ち 真土山(まつちやま) 越ゆらむ君は」(出典:万葉集(8C後)四・五四三)
- [ 二 ] 東京都台東区浅草七丁目にある小丘。隅田川右岸にあり、古くは入津の目標となった。歓喜天をまつる待乳山聖天(本龍院)がある。
- [ 2 ] 枕 同音の繰返しで「待つ」にかかる。
- [初出の実例]「いで吾が駒はやく行きこそ亦打山(まつちやま)待つらむ妹を行きてはや見む」(出典:万葉集(8C後)一二・三一五四)
真土山の補助注記
( 1 )「万葉‐三〇〇九」の「橡(つるばみ)の衣(きぬ)解き洗ひ又打山(まつちやま)本(もと)つ人にはなほしかずけり」の「又打山」は、類音の繰返しで「本つ人」にかかる序の一部に用いられている。
( 2 )「文明本節用集」に「待乳山 マチヂヤマ」とある。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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真土山
まつちやま
紀ノ川右岸に突出した小山で、山頂は奈良県五條市。待乳山とも書く。北側の真土峠を大和街道が通り、古代からの交通の要所であった。「万葉集」に信土山・又打山・亦打山などと記され、国境の山としての感慨を歌ったものが多い。
<資料は省略されています>
巻九の「木方往君我信土山」の表記を「我信土山」と誤読し、のち歌学書が我信土山を紀伊の名所としてあげることも生じた。なお神亀元年(七二四)の聖武天皇玉津島行幸の従駕の人に贈った笠金村の歌に、
<資料は省略されています>
とあり、真土峠付近か現伊都郡かつらぎ町背山付近に奈良時代まで紀ノ関があったことも考えられる。紀ノ関も名所として歌に詠まれることが多かった。
中世には真土峠の周辺に阿弥号をもつ念仏聖などが止宿し、五條市畑田町の西福寺には延徳二年(一四九〇)の六斎念仏供養碑など中世の石塔石碑が数多く残る。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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