真清水蔵六(読み)ましみずぞうろく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「真清水蔵六」の意味・わかりやすい解説

真清水蔵六
ましみずぞうろく
(1822―1877)

江戸末期から明治の京都の陶工。初代。山城(やましろ)国(京都府)に生まれ、清水太三郎(たさぶろう)と称した。13歳のとき、陶法を和気亀亭(わけきてい)に学び、16歳で青磁を焼いて衆目を集めた。当時の陶業界の時流にのって中国朝鮮、ベトナムなどの東洋古陶磁の陶技を習得し、1843年(天保14)京都五条坂に開窯して真清水蔵六と改めた。明治初年には政府の奨励を受けて外国の博覧会に出品して名を高め、国内向けには茶具、外国向けには色絵や金襴手(きんらんで)の大作を製した。自ら好んだ製品には「宗岳(そうがく)」「保寿」「百寿」「蔵六」の印を押し、青磁、染付などに腕を振るった。なお、2代蔵六(1861―1936)は内外陶磁の造詣(ぞうけい)深く、中国陶磁の写しに優品を残し、3代蔵六(1905―71)、4代蔵六(1933― )と家業を継いでいる。

[矢部良明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

関連語 著作

朝日日本歴史人物事典 「真清水蔵六」の解説

真清水蔵六(初代)

没年:明治10.6.12(1877)
生年:文政5(1822)
幕末明治期の京都の陶家。山城国(京都府)乙訓郡久我村の庄屋清水源右衛門の3男。五条坂の陶家和気亀亭に入門。天保14(1843)年独立し五条坂に開窯,名を蔵六と改め,のちに妙法院宮より真清水の姓を受ける。中国,朝鮮の古陶を研究,明治初年には外国博覧会にも出品,色絵・金襴手・青磁・染付などを作り,茶器を得意とした。 2代蔵六(1861~1936)は初代の長男として生まれ,幼名は寿太郎。父初代蔵六,母チカから陶技を学び,明治15(1882)年蔵六を襲名。国内各地を巡るほか,22年には中国,43年には朝鮮半島に渡って古陶の調査を行った。大正6(1917)年には山科西野山に窯を移し,泥中庵とも号した。青磁・染付・三島手などに優れ,古陶磁研究に造詣が深く『陶寄』『蔵六漫筆古陶録』などの著書がある。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「真清水蔵六」の解説

真清水 蔵六(2代目)
マシミズ ゾウロク

明治〜昭和期の陶工



生年
文久1年5月(1861年)

没年
昭和11(1936)年6月13日

経歴
17歳で家業を継ぎ、明治15年22歳で蔵六を襲名。古陶を研究し、国内各地、中国、朝鮮の窯をまわる。大正1年京都山科に開窯、青磁、染付を製作。著書に「泥水庵今昔陶話」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真清水蔵六」の解説

真清水蔵六(初代) ましみず-ぞうろく

1822-1877 江戸後期-明治時代の陶工。
文政5年11月生まれ。山城(京都府)乙訓(おとくに)郡の庄屋清水源右衛門の3男。3代和気亀亭(わけ-きてい)にまなび,天保(てんぽう)14年京都五条坂に窯をひらく。妙法院宮教仁親王より真清水の姓をあたえられ,11代千宗室に茶をまなび,宗缶の号をえた。青磁,染め付けを得意とした。明治10年6月16日死去。56歳。幼名は太三郎。

真清水蔵六(2代) ましみず-ぞうろく

1861-1936 明治-昭和時代前期の陶工。
文久元年5月生まれ。初代蔵六の長男。明治15年2代蔵六を襲名。日本各地および朝鮮,中国の窯場をめぐって研究。古陶の鑑識にすぐれた。昭和11年6月13日死去。76歳。幼名は寿太郎。号は泥中庵。著作に「陶寄」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android