コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

祥啓 ショウケイ

6件 の用語解説(祥啓の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

しょうけい〔シヤウケイ〕【祥啓】

室町中期の画僧。字(あざな)は賢江。号、貧楽斎。祥啓は諱(いみな)。建長寺の書記を務めたことから啓書記ともよばれる。芸阿弥に水墨画を学び、山水画にすぐれた。生没年未詳。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

祥啓 しょうけい

賢江祥啓(けんこう-しょうけい)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

祥啓

生年:生没年不詳
室町後期の画僧。鎌倉建長寺の書記を勤め,啓書記と通称される。別号貧楽斎。相模(神奈川県)出身とする説が有力だが,下野(栃木県)宇都宮の画家丸良氏の子とする後世の史料(『本朝画史』)もある。文明10(1478)年に画事の修業のため京都に上り,同朋の芸阿弥に師事。その間,室町幕府所蔵の中国絵画の名品に直接ふれて研鑽を積んだ。芸阿弥の唯一の現存作品「観瀑図」(根津美術館蔵)は,横川景三の賛文によれば文明13年祥啓の帰郷の際に,はなむけとして芸阿弥から贈られたものである。また,明応2(1493)年にも上洛したことが景徐周麟 の『翰林葫蘆集』によって確認される。作品はかなりの数が残っており,山水,人物,花鳥とそのレパートリーも幅広い。代表作「山水図」(根津美術館蔵)は,師芸阿弥の作風を忠実に反映したものだが,その後,「瀟湘八景図帖」(白鶴美術館蔵)にみられるような,より平明で淡泊な画風に移行した。また「巣雪斎図」(静嘉堂文庫美術館蔵)のような,古い形式の書斎図の作品も数点伝わる。「馬図」(根津美術館蔵),「花鳥図」(神奈川県立博物館蔵)は,おそらく第一級の中国絵画を模写した着色画であるが,その技量はきわめて高度である。東国に中央の最新の様式を伝え,室町後期の関東画壇に圧倒的な影響力を持った。弟子と推測される画家に啓孫,啓牧,啓拙斎らがいる。<参考文献>『日本美術絵画全集』6巻,東京都庭園美術館『室町美術と戦国画壇』

(山下裕二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

しょうけい【祥啓】

15世紀後半を活躍期とする鎌倉建長寺の塔頭宝珠庵にあった禅僧,画家。生没年不詳。書記役にあり,通称は啓書記(けいしよき),字は賢江。貧楽斎と号した。相陽(相模)の出身といわれ,1478年(文明10)京都へ上り,芸阿弥(真芸)について画事を学ぶかたわら,足利将軍家所蔵の唐絵に接する機会を得,3年後に業成って帰郷するにあたり芸阿弥から印可として《観瀑図》(根津美術館)を授けられた。93年(明応2)再上洛,京都五山を遍歴後は鎌倉においてもっぱら画事に専念した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

しょうけい【祥啓】

室町時代の禅僧・画僧。字あざなは賢江。祥啓は諱いみな。建長寺の書記となったので啓書記とも称す。芸阿弥に師事、山水画をよくし、輪郭線の太い簡素な作風で鎌倉水墨画の代表とされる。生没年未詳。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

祥啓
しょうけい

生没年不詳。室町中期(15世紀後半)の画僧。字(あざな)は賢江(けんこう)、別号は貧楽斎。相模(さがみ)国(神奈川県)の人。鎌倉五山の第一位建長寺の書記役にあったところから啓(けい)書記ともよばれる。1478年(文明10)上洛(じょうらく)し、画を芸阿弥(げいあみ)に学び、3年にして業なって帰郷。芸阿弥よりその修行の証(あかし)として『観瀑(かんばく)図』(東京・根津美術館)を贈られた。山水、人物、花鳥と幅広い画題をこなしているが、とりわけ楷体(かいたい)の山水画に優れた手腕を発揮している。代表作に『山水図』(根津美術館)、『瀟湘八景画帖(しょうしょうはっけいがじょう)』(兵庫・白鶴(はくつる)美術館)などがある。なお祥啓画は、以後の鎌倉を中心とした東国画壇に大きな影響を与えており、一括して祥啓派あるいは啓派とよばれている。[榊原 悟]
『中村溪男著『祥啓』(1970・三彩新社・東洋美術選書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

祥啓の関連キーワード象河法演楊門啓書記賢江祥啓仲安真康一元啓諸一之拙堂元劼東朱別宗令公

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

祥啓の関連情報