(山下裕二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
15世紀後半を活躍期とする鎌倉建長寺の塔頭宝珠庵にあった禅僧,画家。生没年不詳。書記役にあり,通称は啓書記(けいしよき),字は賢江。貧楽斎と号した。相陽(相模)の出身といわれ,1478年(文明10)京都へ上り,芸阿弥(真芸)について画事を学ぶかたわら,足利将軍家所蔵の唐絵に接する機会を得,3年後に業成って帰郷するにあたり芸阿弥から印可として《観瀑図》(根津美術館)を授けられた。93年(明応2)再上洛,京都五山を遍歴後は鎌倉においてもっぱら画事に専念した。山水,花鳥,道釈人物と幅広くこなしているが,山水画は芸阿弥ゆずりの真山水が,花鳥,人物には唐絵を直模した習作的なものが多い。《山水図》(根津美術館),《達磨像》(南禅寺)などがのこる。鎌倉を中心とした関東地方画壇に与えた影響は大きく,啓孫,啓拙斎,興悦,僊可などは祥啓の門人と思われる。
執筆者:衛藤 駿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。室町中期(15世紀後半)の画僧。字(あざな)は賢江(けんこう)、別号は貧楽斎。相模(さがみ)国(神奈川県)の人。鎌倉五山の第一位建長寺の書記役にあったところから啓(けい)書記ともよばれる。1478年(文明10)上洛(じょうらく)し、画を芸阿弥(げいあみ)に学び、3年にして業なって帰郷。芸阿弥よりその修行の証(あかし)として『観瀑(かんばく)図』(東京・根津美術館)を贈られた。山水、人物、花鳥と幅広い画題をこなしているが、とりわけ楷体(かいたい)の山水画に優れた手腕を発揮している。代表作に『山水図』(根津美術館)、『瀟湘八景画帖(しょうしょうはっけいがじょう)』(兵庫・白鶴(はくつる)美術館)などがある。なお祥啓画は、以後の鎌倉を中心とした東国画壇に大きな影響を与えており、一括して祥啓派あるいは啓派とよばれている。
[榊原 悟]
『中村溪男著『祥啓』(1970・三彩新社・東洋美術選書)』
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