真鍋豊平(読み)マナベ トヨヒラ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「真鍋豊平」の解説

真鍋 豊平
マナベ トヨヒラ


職業
一弦琴奏者

別名
幼名=采女之助,別名=水穂舎の翁,号=蓁斎

生年月日
文化6年 9月10日

出身地
伊予国(愛媛県 四国中央市)

経歴
伊予国の千足神社で宮司を務める真鍋河内の長男として生まれる。天保元年(1830年)生家に滞在していた絵師の杉浦桐邨が持参していた一弦琴に惹かれ、それを習う。その後、多くの曲を作曲して九州などを巡遊。弘化4年(1847年)京都に居を構え、当時雅楽を取り仕切っていた正親町中納言家から一弦琴取締役を任じられ、公家勤王志士らに教授してその普及に努めた。門人には志士の平野国臣洋学者の佐久間象山、幕臣の中根香亭、土佐に一弦琴を広めた門田卯平らがいる。嘉永元年(1848年)代表的な曲を収めた譜本「須磨の枝折」を刊行、今日に伝わる一弦琴の代表曲の大半を作曲した。また右手の親指を用いる奏法を人差し指に変えた他、琴台の使用などの弾法を定めて一弦琴の奏法を確立するなど、一弦琴の中興の祖として知られる。晩年東京に移り、大阪で亡くなった。明治26年富田豊春に家元を譲ったともいわれる。

没年月日
明治32年 4月13日 (1899年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真鍋豊平」の解説

真鍋豊平 まなべ-とよひら

1809-1899 江戸後期-明治時代神職
文化6年9月10日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)北野村天満宮の神主。一弦琴の名手で,正親町(おおぎまち)家から一弦琴取締役を命じられた。明治32年4月13日死去。91歳。通称は采女之助。号は蓁斎(しんさい),水穂舎。歌集に「老のすさび」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の真鍋豊平の言及

【一弦琴】より

…1839‐1913)の説によると,寛文(1661‐73)の初めごろ中国から伝えられ,宝暦・明和(1751‐72)のころに河内国金剛輪寺の僧覚峯律師(号は麦飯真人。1729‐1815)が世に広め,その門人に水戸の家老中山備前守信敬,奈良の久保但馬,大坂の中川蘭窓などがあり,幕末には大坂の真鍋豊平(1809‐99)が新作によって隆盛に導いた。明治になって真鍋の高弟である土佐の徳弘太橆(たいむ)や,東京の富田豊春がその普及に努めたが,明治末から衰微し,現在ではわずかに行われるのみである。…

※「真鍋豊平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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