出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
幕末の尊攘派(そんじょうは)志士。福岡藩下級武士出身、通称次郎。1858年(安政5)脱藩上京し、安政(あんせい)の大獄の追及を受けた僧月照(げっしょう)を鹿児島へ逃れさせた。1862年(文久2)薩摩(さつま)藩尊攘派、浪士たちと挙兵、攘夷(じょうい)断行を企てたが失敗、福岡藩で投獄された。翌年許され上京し大和行幸(やまとぎょうこう)による討幕計画に参加、また中山忠光(なかやまただみつ)らによる天誅組(てんちゅうぐみ)挙兵に対しては鎮撫(ちんぶ)説得にあたったが失敗。八月十八日の政変(1863)後、七卿落(しちきょうおち)の一人沢宣嘉(さわのぶよし)を奉じ、10月但馬(たじま)生野(いくの)で倒幕の挙兵をしたが、豊岡(とよおか)藩兵に捕らえられ(生野の変)、京都六角の獄に幽閉。1864年(元治1)禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の騒擾(そうじょう)に際し、幕府大目付らの判断で未決のまま処刑される。彼は国学、和歌、有職故実(ゆうそくこじつ)を学び、王朝の風を慕って総髪とし、太刀(たち)を帯びた。
[山口宗之]
『平野国臣顕彰会編『平野国臣伝記及遺稿』(1916・博文社書店)』
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
幕末の志士。福岡藩下級武士。通称次郎。1858年(安政5)脱藩上京以後,尊王攘夷運動に奔走,京都~九州間を往来した。63年(文久3)大和行幸を名目とする討幕計画に関係,天誅組の鎮撫説得にあたる。8月18日の政変後七卿の一人沢宣嘉を奉じ但馬生野(いくの)に挙兵したが敗れ(生野の変),京都六角獄に幽閉され,翌年禁門の変に際し幕府大目付の判断で未決のまま処刑された。
執筆者:山口 宗之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1828.3.29~64.7.20
幕末期の尊攘派志士。福岡藩士平野吉郎右衛門の次男。普請方などで江戸・長崎に勤務したが,ペリー来航後尊攘論者となり,1858年(安政5)脱藩上京。以後九州各地を遊説し尊攘派の結集にあたる。安政の大獄時から幕吏に追われる身ながら建策数点を残す。63年(文久3)10月沢宣嘉(のぶよし)を擁して但馬国に入り,生野(いくの)代官所を襲撃して挙兵するが,敗れて捕らえられ,翌年(元治元)禁門の変に際し京都六角獄(ろっかくごく)で斬殺された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
1/16 デジタル大辞泉プラスを更新
1/16 デジタル大辞泉を更新
12/10 小学館の図鑑NEO[新版]魚を追加
10/17 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
8/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新