小説家。神奈川県横浜市生まれ。東京教育大学(現筑波大学)附属駒場高校卒業。1972年(昭和47)、『ミステリマガジン』6月号に短篇「抱きしめたい」、9月号に「夕焼けのスーパーマン」を発表して作家デビューする。また翌73年1月号から矢作俊彦脚色、ダディ・グース画によるチャンドラーの『長いお別れ』の漫画化連載が始まるが、これは矢作の一人二役であった。こうした洒落(しゃれ)っ気はその後もいたるところで発揮される。たとえば、ある時期彼は「船会社のメッセンジャーボーイ、列車貨物係、船員などを経て、ピンカートン・インビスティゲーション横浜支局諜報課に勤務」といった架空の略歴を掲載し、楽しんでいたこともある。
本格的な作家活動は長編小説『マイク・ハマーへ伝言』(1978)を上梓してから。神奈川県警の刑事二村永爾(ふたむらえいじ)が登場する『リンゴォ・キッドの休日』(1978)、『真夜中へもう一歩』(1985)は、今も根強い人気を誇っており、復活を望む声も多い。シリーズ・キャラクターとしてはFM東京で80年5月から83年9月まで放送された台本をもとにした短編集『マンハッタン・オプ』(1981)、『マンハッタン・オプ2』(1982)、『凝(こ)った死顔』『笑う銃口』『はやらない殺意』(1985)に登場する私立探偵がいるが、この場合はことさら大きな事件が描かれているわけではなく、全編がハードボイルド・タッチでありながら、実はそのパロディー的雰囲気を味わうべき作品となっている。司城志朗(1950― )との共著『暗闇にノーサイド』(1983)、『ブロードウェイの戦車』『海から来たサムライ』(1984)は、一転して冒険小説風味わいのある大作。しかしこれ以降、しばらくミステリーの分野での活躍は影を潜める。例外は1987年の『コルテスの収穫』だが、これも上・中巻と刊行された後、下巻が出ないまま今にいたっている。
90年(平成2)の『スズキさんの休息と遍歴』は、全共闘世代の主人公が、この現代の風俗に時代錯誤的闘いを挑む物語だが、主人公に感情移入できるかどうか、これは読者の世代によって相当の違いが生じてくるだろう。しかし、足かけ7年をかけたという大作『あ・じゃ・ぱん』(1997)は、第二次世界大戦後、大菩薩峠を境とする「壁」によって東西に遮られた日本を、日本「通」であるアメリカ人特派員が、スクープを狙ってレポートしていくという設定で、ほぼ全編にわたって、著名な世界文学の換骨奪胎やパロディー、皮肉、あてこすり、さらには地口(じぐち)、洒落などがちりばめられ、矢作俊彦ならではの壮大な遊びの精神に満ちた傑作文明批評である。
[関口苑生]
『『真夜中へもう一歩』(1985・光文社)』▽『『あ・じゃ・ぱん』(1997・新潮社)』▽『『マンハッタン・オプ』『マンハッタン・オプ2』『ブロードウェイの戦車』『マイク・ハマーへ伝言』(角川文庫)』▽『『リンゴォ・キッドの休日』『スズキさんの休息と遍歴』(新潮文庫)』▽『『凝った死顔』『笑う銃口』『はやらない殺意』『コルテスの収穫』上中(光文社文庫)』▽『『海から来たサムライ』(カドカワノベルズ)』▽『矢作俊彦・司城志朗著『暗闇にノーサイド』(角川文庫)』▽『新保博久著『世紀末日本推理小説事情』(1990・筑摩書房)』
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新