1930年前後に、アメリカ文学に登場した写実主義の手法。ヘミングウェイやドス・パソスらの、むだな修飾を極度に省き、スピーディーな荒いタッチで事実を積み上げていくスタイルで、転じて「冷酷」や「非情」という文学用語として用いられる。推理小説では一つの流派をさし、それに関連してハードボイルド調の文体という使い方もされる。1929年、ハメットの推理小説『血の収穫』は、従来の謎(なぞ)解き中心のミステリーに革命的変革をもたらした。孤独な中年の私立探偵を主人公にしたリアルな性格描写、不可能犯罪の謎解きよりも登場人物の人間関係を重視した視点、スラングを多用したスピーディーな文体、心理分析以上に効果的な軽妙な会話を特徴とするもので、禁酒法に揺れた1920年代というアメリカ社会の暗黒面が色濃く反映されている。ハードボイルドとは本来、固ゆでの卵の意味で、それがなぜハメットらの作風に適用されたのか理由は諸説あって判然としない。この流派の正統はハメット以降、『長いお別れ』(1953)のチャンドラー、『さむけ』(1964)のロス・マクドナルドに継承された。これに対して暴力とエロチシズムを前面に押し出した『裁くのは俺だ』(1947)のミッキー・スピレーンは通俗ハードボイルドとして正統派からは区別されてきた。しかし後代に与えた影響の大きさからすれば、当然再評価されてしかるべき作家である。1970年代以降のこの流派の作家は、ネオ・ハードボイルド派とよばれることもある。この派の探偵たちのなかにはアルコール依存症や癌(がん)ノイローゼや、マリファナ常用者などがみられるが、要するに彼らが前代の探偵たちの男らしい魅力とは裏腹なアンチ・ヒーローであることに特色がある。そしてその特色がベトナム戦争後遺症の表れであると解することは容易であろう。1970年代から1980年代にかけて出現した『誘拐(ゆうかい)』(1971)のビル・プロンジーニBill Pronzini(1943― )、『大いなる賭け』(1973)のロジャー・サイモンRoger L.Simon(1943― )、『約束の地』(1981)のロバート・B・パーカーRobert Brown Parker(1932―2010)、『聖なる酒場の挽歌(ばんか)』(1986)のローレンス・ブロックLawrence Block(1938― )などが、その代表的な作家である。
[厚木 淳]
『中島河太郎編『ハードボイルド傑作選』(1976・ベストブック)』▽『各務三郎著『名探偵読本 ハードボイルドの探偵たち』(1979・パシフィカ)』▽『小鷹信光著『ハードボイルド・アメリカ』(1983・河出書房新社)』▽『小鷹信光著『ハードボイルドの雑学』(1986・グラフ社)』▽『郷原宏編著、山本楡美子訳『ギムレットには早すぎる――レイモンド・チャンドラー名言集』(1997・アリアドネ企画、三修社発売)』▽『郷原宏著『名探偵事典 海外編』(1997・東京書籍)』▽『小鷹信光著『アメリカ語を愛した男たち』(ちくま文庫)』▽『小野俊太郎著『「男らしさ」の神話――変貌する「ハードボイルド」』(講談社新書メチエ)』▽『William MarlingThe American Roman Noir(1995, University of Georgia Press)』
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もともとソフトボイルド(半熟)に対する卵のかたゆでを指す形容詞だが,感情面における無情なtoughこと,あるいは感情を押し殺して表面に出さない状態をいうのに使う。したがって非情,非感傷的,シニカルなどと同義になる。ハードボイルド・ディテクティブといえば,往年の映画俳優ハンフリー・ボガートがよく主演した探偵もの映画の主人公のように,無口で無表情,眉ひとつ動かさず大胆なことをやってのけるような探偵,ということになる。ヘミングウェーの短編《殺し屋たち》(1927)のような作品,D.ハメット,R.チャンドラーなどの探偵小説は,いわゆるハードボイルド・ノベルの典型である。また感情表出を極度に切り詰め,事件や行動だけを簡潔に表現するような文体,芸術一般の表現様式にもこれを使うことが多い。その場合は,〈厳密な〉とか〈簡潔な〉とかと同義である。ヘミングウェーの初期短編集《われらの時代に》(1925)が,その最も優れた例であろう。
執筆者:金関 寿夫
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(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年)
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