知多木綿(読み)チタモメン

デジタル大辞泉 「知多木綿」の意味・読み・例文・類語

ちた‐もめん【知多木綿】

愛知県知多半島産のさら木綿手拭てぬぐい地・絞り地などに用いる。知多晒し。

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精選版 日本国語大辞典 「知多木綿」の意味・読み・例文・類語

ちた‐もめん【知多木綿】

〘名〙 愛知県知多地方産出の小幅晒木綿(さらしもめん)江戸中期、松坂木綿技術を導入したものという。古くから手拭、木綿の絞り染地などに使用。知多晒。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「知多木綿」の意味・わかりやすい解説

知多木綿
ちたもめん

愛知県知多半島一帯で製織される晒(さらし)木綿。知多晒ともいう。この地方は気候が温暖でワタ栽培に適していたが、1781年(天明1)に中島半右衛門(はんえもん)が伊勢(いせ)国(三重県)の松坂から技術を導入して織り始めたという。経緯(たてよこ)とも16~20番単糸を使い、平織に織り、漂白、糊(のり)付け加工をした小幅織物である。手拭(てぬぐい)地や襦袢(じゅばん)などに使われるが、生産量は少ない。

[角山幸洋]

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デジタル大辞泉プラス 「知多木綿」の解説

知多木綿

愛知県知多市、知多半島を中心に生産される伝統的な晒木綿(さらしもめん)。「知多晒」とも。江戸時代初期には生白(きじろ)木綿として織られ、伊勢国(三重県)から「伊勢晒」「松坂晒」などの名で江戸に送られていたが、天明年間に当時の岡田村の職人らが晒の技術を向上させ知多晒としての名声を得た。昭和時代には機織業の機械化が進んだが、現在でも昔ながらのハタゴによる生産は小規模ながら続けられている。

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世界大百科事典(旧版)内の知多木綿の言及

【尾張国】より

…織元は自分の仕事場に10台前後の織機をおき,女子奉公人を集めて生産するようになり,製品は江戸や大坂にも出荷された。知多半島では農耕条件に恵まれず,伊勢から晒(さらし)技術を導入して農家婦女子による白木綿(知多木綿)の生産が隆盛をきわめ,仲買たちによって買継問屋に集められ,江戸の大伝馬町白子両組木綿問屋に船で送られた。江戸への移送量は天保初年に20万反,1847年(弘化4)には48万反余に達した。…

【知多半島】より

…伝統産業も多く残され,常滑市では,付近に陶土を産することから常滑焼の古窯が多く,現在もタイル,衛生陶器,陶管など窯業が盛んである。また知多市,東浦町,半田市では知多木綿の名で知られる綿織物業,半田市では食酢,たまりなど醸造業などがある。半島南部には内海,野間,河和(こうわ),篠島,日間賀島など海水浴場や,釣りの適地が多い。…

※「知多木綿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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