石母田供養石塔(読み)いしもだくようせきとう

日本歴史地名大系 「石母田供養石塔」の解説

石母田供養石塔
いしもだくようせきとう

[現在地名]国見町石母田

なかうちの保存堂に安置されている。元の勧降使として来日した一山一寧の書として知られ、国指定史跡。塔は高さ約一・八メートル、幅約四五センチ。方柱状の面の四行目上部に種子ウン(阿如来)を刻み、その下に全六行二六字詰・一五四文字がある。その文章は文案作成者の僧智が、徳治三年(一三〇八)一一月二〇日、先祖の百回忌の命日にあたって塔婆を建立するとの旨を述べたもので、鎌倉期の禅密合一思想を示す。一山一寧は、正安元年(一二九九)筑前博多はかた(現福岡県福岡市)に着岸し、いったんは間諜として捕らえられて伊豆修禅しゆぜん(現静岡県修善寺町)に幽閉されたが、学徳が優れていたことから、幕府執権北条貞時から厚く信仰され、同年一二月鎌倉建長寺住持に任ぜられ、正和二年(一三一三)後宇多法皇の招請によって京都南禅寺住持となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「石母田供養石塔」の解説

いしもたくようせきとう【石母田供養石塔】


福島県伊達郡国見町石母田にある鎌倉時代の板碑。1308年(徳治3)に僧智瑄(ちせん)が先祖の追善供養に建立した。高さ1.8m、幅44cm、厚さ30cm前後の石の一つの面に梵字漢字の功徳文が刻まれている。能筆家として知られる元の帰化僧・一山一寧(いっさんいちねい)が書いたもので、そのため地元では「蒙古の碑」とも呼ばれている。鎌倉時代における禅宗密教の関係を知るうえで貴重なものとされている。1875年(明治8)に一度龍雲寺の境内に移されたが再びもとのところに戻った。周辺は満福寺の古刹跡といわれている。1935年(昭和10)に国指定史跡となった。JR東北本線藤田駅から徒歩約25分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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