石清水神社(読み)いわしみずじんじや

日本歴史地名大系 「石清水神社」の解説

石清水神社
いわしみずじんじや

[現在地名]津田町津田

津田の松原の中に鎮座する。祭神誉田別尊・息長足姫尊・玉姫命。旧郷社。津田八幡宮ともいい、「御領分中宮由来」に津田浦の氏社で承和年中(八三四―八四八)山城石清水いわしみず八幡宮の分霊を勧請、天正年中(一五七三―九二)土佐軍乱入の時に記録・棟札等が焼失したため由緒も不明となったが、文禄四年(一五九五)氏子らが再興別当常楽じようらく坊、末社一五社とある。「新撰玉藻集」には「安富肥前守盛方鬼門の守護となす」とあり、雨滝あめたき城城主安富氏の保護もあったと思われる。


石清水神社
いわしみずじんじや

[現在地名]大内町大谷

大谷おおたにの中央部、中穂なかほ山に鎮座する。祭神誉田別尊・息長足姫命・足仲彦命。旧郷社。「香川県神社誌」によると、大谷はもと入野山石清水にゆうのやまいわしみず八幡神社(現白鳥町)の氏子であったが、遠隔地であるため、寛永五年(一六二八)同社分霊を中穂山に勧請したという。「御領分中宮由来」に大谷八幡とあり、丹生にゆう郷惣氏宮と記す。「讃岐国名勝図会」には子安こやす八幡とあり、安産の神とされている。祭礼の行列について、町田まちだ馬篠うましの・大谷の三ヵ村で毎年もめ事があったので、嘉永五年(一八五二)大内郡大庄屋木村太一郎と別当神通じんつう寺住職が間に入り、三ヵ村の獅子・壇尻の順番を一年ごとに順位を繰上げる「車返し」にすることにし、三ヵ村の庄屋・組頭立会いで初年度の順番を「くじ取」で決めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報