石田退三(読み)イシダ タイゾウ

20世紀日本人名事典 「石田退三」の解説

石田 退三
イシダ タイゾウ

昭和期の実業家 トヨタ自動車工業社長。



生年
明治21(1888)年11月16日

没年
昭和54(1979)年9月18日

出生地
愛知県知多郡小鈴谷村(現・常滑市)

旧姓(旧名)
沢田

学歴〔年〕
滋賀一中(現・彦根東高)〔明治40年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和32年〕,紺綬褒章〔昭和33年〕,輸出褒章〔昭和37年〕,勲二等瑞宝章〔昭和39年〕,勲一等瑞宝章〔昭和45年〕,チェコスロバキア功労金賞〔昭和46年〕

経歴
大正7年彦根の石田家の養子となる。名古屋の服部商店から昭和2年豊田紡織入社重役に栄進するが、12年トヨタグループのトヨタ自動車工業による本格的自動車進出に反対し、重役職を追われて、豊田紡織の監査役に格下げされる。16年豊田自動織機製作所常務となり、専務、副社長を経て、23年社長に就任。25年不況で倒産寸前のトヨタ自動車を工業・販売に分離した際、三井銀行の支援を得て工業部門の社長に推され、続く朝鮮動乱の特需により会社再建を進める。26年末設備近代化5ケ年計画を策定。42年豊田英二を社長とし、自らは会長に退く。46年相談役。トヨタの“生涯番頭”と自称合理主義でトヨタを日本一の高収益企業に育て、トヨタ中興の祖とされる。遺志により石田財団芸術奨励賞が設けられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石田退三」の解説

石田退三 いしだ-たいぞう

1888-1979 昭和時代の経営者。
明治21年11月16日生まれ。名古屋の繊維会社で豊田佐吉知遇を得,昭和2年豊田紡織に入社。16年豊田自動織機製作所の常務にむかえられ,23年社長。25年トヨタ自動車工業社長を兼任して,労使紛争を収束させる。設備・工程合理化を推進し,自己資本・自己開発技術による乗用車量産体制を確立した。36年会長。昭和54年9月18日死去。90歳。愛知県出身。滋賀第一中学(現彦根東高)卒。旧姓は沢田。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「石田退三」の解説

石田 退三 (いしだ たいぞう)

生年月日:1888年11月16日
昭和時代の実業家。トヨタ自動車工業社長
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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