日本大百科全書(ニッポニカ) 「神戸藩」の意味・わかりやすい解説
神戸藩
かんべはん
江戸時代、伊勢(いせ)国河曲(かわの)郡神戸(かんべ)(三重県鈴鹿(すずか)市)周辺を領有した藩。1590年(天正18)織田信雄(のぶかつ)の重臣滝川雄利(かつとし)は、豊臣(とよとみ)秀吉に仕え神戸城を与えられたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いで石田方に属し除封。かわって一柳直盛(ひとつやなぎなおもり)(5万石)が入封、これが当藩のおこりである。1636年(寛永13)直盛は伊予西条(さいじょう)に移封され、神戸城は破却、一時廃藩となる。1660年(万治3)譜代(ふだい)大名石川総長(ふさなが)(2万石)立藩。1732年(享保17)譜代の本多忠統(ほんだただむね)が1万石で入封、1745年(延享2)1万5000石に加増、築城を許可され、彼のあと忠永(ただなが)、忠興(ただおき)、忠奝(ただひろ)、忠升(ただなか)、忠都(ただよし)(忠廉(ただやす))、忠貫(ただつら)と続いた。1871年(明治4)廃藩、神戸県、安濃津(あのつ)県を経て三重県に編入。城の遺構中、大手門は顕正寺(四日市市)山門として残存する。
[原田好雄]
『仲見秀雄・前川信雄著『新編鈴鹿市の歴史』(1975・鈴鹿青年会議所)』