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神指城 こうざしじょう

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日本の城がわかる事典の解説

こうざしじょう【神指城】

福島県会津若松市神指町にあった安土桃山時代の城郭。越後(新潟県)から会津に移封された上杉景勝が常陸国(茨城県)の佐竹義宣(よしのぶ)などの支援を受けて、家臣の直江兼続(かねつぐ)ら家臣に命じて、関ヶ原の戦い直前の1600年(慶長5)3月に着工したが、未完のまま終わった。完成すれば、総石垣の本丸を持つ若松城の2倍に当たる約55万m2の面積の広大な城となったといわれる。また、中央の大阪城、西の広島城と並ぶ東の主城として、豊臣秀吉の生前から築城の構想があったともいわれている。徳川家康は神指城をはじめ領内の諸城の改修・強化を行う上杉家に対して、景勝の上洛の催促とともに詰問状を送ったが、景勝はこれを拒否。このことが家康の上杉攻めのきっかけとなった。ちなみに、この詰問状に対する返書が直江状(家老の直江兼続の書状)として残っている。神指城は着工3ヵ月後の同年6月に本丸と二の丸の土塁と石垣、水堀と門が完成したものの、家康の上杉攻めに対応して臨戦態勢に入ったため工事は中断、その後も再開されることなく終わった。関ヶ原の戦いの後の1601年(慶長6)、上杉氏が120万石の会津領から30万石の米沢領に国替えを命じられた際、家康の命令により、建設途上の神指城は破却となり、門は破壊され石垣の一部は堀に埋められた。その後、会津藩主となった蒲生秀行は、神指城の石垣の一部を若松城の整備に使用したといわれる。城跡は同市外北西の阿賀川東岸の水田地帯にあり、本丸の土塁など遺構の一部が残っている。この土塁跡にあるケヤキの大木(高瀬の大木)は天然記念物に指定されている。ケヤキの周辺には3つの巨石があるが、神指城本丸から運び出した石垣の一部とされている。JR磐越西線会津若松駅からバス約12分で高瀬下車、徒歩約15分。

出典|講談社
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