神通寺跡(読み)じんつうじあと

日本歴史地名大系 「神通寺跡」の解説

神通寺跡
じんつうじあと

[現在地名]物部村神池

寺谷てらだににあった寺院であるが、現在はその旧地の雌池のそばに大日堂が残り、いけの大日堂と称する。堂内には本尊大日如来をはじめ観音・地蔵などの立像や、厨子に安置された天部立像が残るが、いずれも破損仏で、藤原時代の作。江戸時代後期にはすでに退転しており、「南路志」には「堂床三代、但上池・下池・神通寺・楮佐古四ケ村より祭来、昔神通寺は大伽藍也」とある。

朝野群載(仏事下)に土佐国守であった藤原有佐の死後、子重基が父が京都に持帰った神通寺の梵鐘を返送するに当たり、永久三年(一一一五)一二月九日付で記した文書が載り、「土州神通寺者、国境霊勝之地也、建立之後、星霜不幾廻、区宇之間、風雨無其損、僧侶少住、仏具多欠、先考廿年之前、早宰彼国、見此寺之頽綱、惜其物之離散、所残之鐘、空以在梁、暁夕来而不叩、猶恨秋霜之難声、墻壁荒而無全、更疑白波之可耳、仍与寺僧相共議云、仏法者不親疎、結縁為先、尤物者不遠近、随好而至、請送蒲牢於華城、鎮告六時於三宝、解纜之時、相随帰京」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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