種子島時堯(読み)たねがしまときたか

精選版 日本国語大辞典 「種子島時堯」の意味・読み・例文・類語

たねがしま‐ときたか【種子島時堯】

  1. 戦国時代武将種子島領主。漂着したポルトガル人から小銃二挺を購入。その操法製法を学んだ最初日本人とされる。享祿元~天正七年(一五二八‐七九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「種子島時堯」の意味・わかりやすい解説

種子島時堯
たねがしまときたか
(1528―1579)

室町末期の種子島島主。種子島氏第13代恵時の子。初め直時と称し、弾正忠(だんじょうのちゅう)、左近将監(さこんのしょうげん)に任ず。入道名可釣(かきん)。島津氏と交誼(こうぎ)を結ぶ。その女(むすめ)は島津義久(よしひさ)の室。孫忠時(ただとき)の室は島津家久(いえひさ)の女。1543年(天文12)8月、父とともに種子島南岸西之村に漂着したポルトガル船を赤尾木(あかおき)(西之表)に回送させ、その所持する鉄砲二挺(ちょう)を買い取り、家臣に命じその製法を研究させた。以後鉄砲は堺(さかい)商人らにより諸国に広められた。

[五味克夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「種子島時堯」の意味・わかりやすい解説

種子島時堯
たねがしまときたか

[生]享禄1(1528)
[没]天正7(1579)
室町時代末期の種子島の領主。恵時の子。初名,直時。左近将監を称する。天文 12 (1543) 年8月 25日同島に漂着したポルトガル人の鉄砲2丁を買入れて家臣に製法を研究させた。翌年再びポルトガル人が来航すると指導を受け,鉄砲数十丁を製作したと『鉄炮記』に伝える。子息や家臣らと射撃の習練にも努めた。地勢上,島津氏に服し,娘を島津義久の室に入れた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「種子島時堯」の解説

種子島時堯
たねがしまときたか

1528〜79
戦国末期の種子島の領主
1543年,島の西村小浦に漂着したポルトガル人から鉄砲2挺を2000両で買い取り,家臣篠川小四郎に火薬,工人八板金兵衛尉に鉄砲の製法を研究させた。

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