鹿児島県、種子島(たねがしま)北部にある市。1958年(昭和33)市制施行。なだらかな丘陵が広がり、多数の小河川が開析(かいせき)している。種子島の海の表玄関で、鹿児島港との間に大型フェリーが就航している。歴史は古く、縄文・弥生(やよい)時代の遺物を出土。『日本書紀』には「多禰嶋」と記される。中世以降、種子島氏の支配下に置かれ、近世、赤尾木城(別名、榕(よう)城・内(うち)城)を中心に麓(ふもと)集落が整備された。明治時代、郡役所の所在地となり、現在も熊毛支庁(くまげしちょう)をはじめ、国や県の出先機関が多い。産業はサトウキビ、サツマイモ、茶などの栽培のほか、肉牛、乳牛の飼育が盛んである。市街地の西方12キロメートルにある馬毛島(まげしま)周辺はトビウオの好漁場であるが、島は過疎化が進み、1980年に無人島化したが、2009年(平成21)の住民登録人口は4人。伝統工芸品に、製鉄や鍛冶(かじ)の技術を受け継ぐ「種子ばさみ」がある。南蛮船をかたどった建物の種子島開発総合センター(鉄砲館)は、鉄砲伝来の地だけに種子島銃(県文化財)をはじめとする火縄銃のコレクションに特色があるほか、歴史や考古、民俗資料も充実している。鉄砲祭は毎年8月に行われる種子島最大の祭り。面積205.66平方キロメートル、人口1万4708(2020)。
[平岡昭利]
『『西之表市百年史』(1971・西之表市)』
鹿児島県種子島北部の市。1958年市制。人口1万6951(2010)。大部分が低い丘陵地からなる種子島の北半部と,西方海上の馬毛(まげ)島を含む。中心市街は甲女(こうめ)川河口にあり,藩政時代は種子島氏の城下であり,また島の玄関口の港町として栄えた。現在も国道58号線が通じ,鹿児島港との間にフェリーが就航する。農業人口が全人口の半分近くを占め,サトウキビ,サツマイモを主要作物とし,近年はソラマメ,ジャガイモなどの野菜や,日本一早い走り新茶の栽培が盛んとなり,また乳牛,肉牛の飼育も行われる。種子島家歴代の墓地御拝塔(おはあとう)と菩提寺の本源寺,若狭公園,西岸の住吉のガジュマル防潮林などの名所がある。また東町や池田にはかつて種子島銃を作った鍛冶町があり,現在は特産品の種子鋏を生産する。住吉には江戸時代に鉄分の多い島の土を用いて甕,食器,唐獅子などを焼いた能野(よきの)焼の窯跡がある。栖林(せいりん)神社で1月11日に厄払い行事の弓芸である大的(おおまと)始め,横山神社で七夕に冠目(かむき)(白面)をつけて踊る横山盆踊が行われる。
執筆者:服部 信彦
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