日本歴史地名大系 「立正寺」の解説 立正寺りつしようじ 山梨県:東山梨郡勝沼町休息村立正寺[現在地名]勝沼町休息鬢櫛(びんぐし)川の左岸、休息(きゆうそく)集落の北方にある。休息山と号し、日蓮宗。本尊は十界曼荼羅。寺伝によれば大宝二年(七〇二)役小角が開創、のち行基によって三論宗に属したという。延長三年(九二五)に行敏が真言宗に改め、長和四年(一〇一五)金剛山胎蔵(たいぞう)寺と称し、本尊を地蔵菩薩とした。永保三年(一〇八三)住持覚範は真言修験行者として活躍、関東三三ヵ国の棟梁となった。この頃子安(こやす)千坊と称され、塔頭数千余・末寺数百を有し全盛を極めたと伝える(勝沼町誌・甲斐国志)。文永六年(一二六九)日蓮がこの地を遊化し立正安国論を講じ、次いで建治二年(一二七六)中老日法も訪れ住僧辻之坊宥範と法論を行い、これに伏した宥範は日法とともに身延(みのぶ)山に登って日蓮の弟子となり、法名を日乗と改め、日法を開山に招請し日蓮宗に改宗したという(甲斐国志)。 立正寺りゆうしようじ 愛媛県:宇和島市宇和島城下北町立正寺[現在地名]宇和島市大宮町一丁目辰野(たつの)川右岸にある。最勝山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。「宇和旧記」によると、通称瓦(かわら)寺とよばれ、釈善西の開山。瓦寺は、当時、寺院は一般に茅葺であったのに、当寺が瓦葺であったことによる。もと笹(ささ)町にあったが、二世住職超味が、元和五年(一六一九)に現在地に移した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by