立神村(読み)たてがみむら

日本歴史地名大系 「立神村」の解説

立神村
たてがみむら

[現在地名]阿児町立神

英虞あご湾の東端、隆起海食台地上にあり北の甲賀こうか村と接する。西には英虞湾に向かって西山にしやま半島が突出し、付近の島嶼は当村に属している。西山半島・中山なかやま半島・天童てんどう島などに縄文時代の遺物包含地がある。「神鳳鈔」には「立神御厨」とある。

近世を通じて鳥羽藩領で、英虞郡に属した。享保一一年(一七二六)村差出帳(徳川林政史蔵)によると、高七四四・六三石のうち夫米高四八・七六四石が寛文四年(一六六四)より定引で、四・二七石は津波により正徳四年(一七一四)から上地である。


立神村
たてがみむら

[現在地名]長崎市東立神町ひがしたてがみまち西立神町にしたてがみまち

岩瀬道いわせどう村の南西、長崎浦の西岸にあたる。江戸時代は幕府領長崎代官支配で、正保国絵図に立神村として高三二石余。正保郷帳では「長崎領アクノ浦立神」(大村見聞集)、元禄国絵図に立神とあり、享和二年(一八〇二)の長崎絵図に立ガミと記される。明和二年(一七六五)浦上村之内 立神郷」の順右衛門が紅毛船から胡椒を取卸したとして入墨のうえ長崎払に処されている(犯科帳)。文政七年(一八二四)に「浦上村淵立神郷」とみえる(長崎代官記録集)。天保郷帳では浦上うらかみ村のうちで、安政三年(一八五六)の浦上村淵惣竈目録(「御用留」志賀家文書)では竈数一三(百姓)、家数三八・人数二九五。


立神村
たてがみむら

[現在地名]宮原町立神

川が中央を貫流し、北は大野おおの(現竜北町)、東は北種山きたたねやま村・南種山みなみたねやま(現東陽村)、南は南種山村、西は河上かわかみ村に接する。「八代日記」天文一〇年(一五四一)四月二日条に「長唯様立神御社参候」とみえる。慶長国絵図に村名がみえ、正保郷帳に田方二五〇石五斗余・畠方一二七石六斗余とある。種山手永に属し、「国誌」は「夕山ト云小村アリ」と記す。明治八年(一八七五)河上村を合併した。氷川右岸の川北部に旧石器時代のドトク遺跡をはじめ、馬原まばる古墳・滑川なめりごう古墳・七ッ穴横穴群・五ッ穴横穴群・岩立いわたて古墳群などがあり、名勝立神峡東の高山こうやまに郡司檜前政丸の弟豊成の墓がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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