伊勢志摩国立公園の一部で三重県の志摩半島周辺に位置する。大小約60の有人、無人の島々が浮かび、複雑に入り組んだリアス式の美しい海岸で知られる。穏やかな浅瀬を利用し養殖真珠の一大産地となっているほか、アオサやカキの養殖も盛ん。伝統的な海女漁も行われている。2016年5月に開催された主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)では賢島が主会場となった。
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三重県中東部、志摩半島と志摩市大王町波切(なきり)から西へ延びる先(さき)志摩半島との間に抱かれた志摩半島中最大の湾。日本最大といわれる隆起海食台地が侵食を受けて細かい河谷が刻まれたのち、ふたたび沈降して生じたもので、低平な台地の先が典型的なリアス海岸となって波静かな内湾に没し、そのなかに賢島(かしこじま)、多徳(たとく)島、土井ヶ原(どいがはら)島、天童(てんどう)島、横山島など大小の島々が浮かぶ。その女性的な自然の美しさと、水面を埋める真珠養殖いかだの群は奥志摩の代表的景観として国際的に知られ、伊勢志摩国立公園(いせしまこくりつこうえん)の中核をなしている。近畿日本鉄道志摩線が通じ、大阪、名古屋と結ばれる。賢島からは周遊観光船、浜島、御座(ござ)、和具(わぐ)への定期船が出る。鵜方(うがた)西方の横山(203メートル)、志摩市大王町船越の登茂(とも)山(48メートル)、御座の金比羅(こんぴら)山(99メートル)などからの英虞湾の眺望はすばらしい。古くからこの内湾では「志摩の白玉(しらたま)」(天然真珠)で知られるアコヤガイを産するほか、定置網でイワシをとってカツオ釣りの餌(え)を供給していた。また湾内の多徳島は、御木本幸吉(みきもとこうきち)が1890年(明治23)初めて真珠養殖に成功した所で、以来英虞湾は日本における養殖真珠の一大産地となった。賢島には国立真珠研究所があった(1979年に養殖研究所に統合、1983年南勢(なんせい)町、現在の南伊勢(いせ)町に移転。その後、水産総合研究センター所属を経て、水産研究・教育機構所属の増養殖研究所となっている)。
湾の周辺は近年急速に観光地化され、ホテル、別荘地、ヨットハーバー、ゴルフ場、水族館などがある。
[伊藤達雄]
三重県志摩半島南部にある湾。隆起海食台地が沈降した典型的なリアス海岸で,沈降量が大きかった東部(湾奥)では多徳島,横山島,天童島などの小島が多くでき,島のまったくない西部の湾口部と対照的である。志摩市に属する静かな内湾で,かつては西方のみ外洋に通じていた。1932年湾内と外洋との連絡を便利にし,さらに湾内の真珠養殖を冷潮被害から守るため通水をよくする目的で,船越・片田の旧村界線に沿って長さ550m,幅15mの深谷水道(船越水道)が先志摩半島の根もとで開削された。この水道の開通で真珠養殖は急速に発展し大中心地となり,タンポと呼ばれる金網の籠をつるした養殖いかだの点綴(てんてつ)する湾の代表的な風景を生んだ。真珠養殖は1893年湾内の多徳島に御木本幸吉が真珠養殖場を設置したのにはじまり,箕作佳吉,西川藤吉,見瀬辰平などの労苦によってつくりあげられた。アコヤガイは水温8℃以下で死滅するため,冬季には湾内の真珠いかだは冷潮をさけて西方の温暖な五ヶ所湾や南方の紀北町海山区の引本浦,尾鷲市九鬼方面へ移動する。伊勢志摩国立公園の奥志摩の中核をなし,北岸にはその観光基地である賢島があり,近鉄志摩線が通じる。横山(203m)や登茂山(48m),金比羅山(111m)などからの眺望はきわめてよい。
執筆者:藤本 利治
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