日本歴史地名大系 「立神社」の解説 立神社たてじんじや 和歌山県:有田市野村立神社[現在地名]有田市野野(の)の西端に鎮座する。祭神大屋毘古(おおやびこ)神。右方相殿に国常立(くにのとこたち)神・伊弉諾(いざなぎ)尊・伊弉冉(いざなみ)尊を祀る。旧郷社。後方に大岩が聳立し、古伝にこの地は有田川の衝立にあたり、岩下は深淵をなし、その上に立つので「立石」とよぶという。立神の称はこの岩から起こり、水主神を祀ったのではなかろうか。「続風土記」は応徳年間(一〇八四―八七)に熊野那智山の神領となり、実方中将の苗裔が野に在城して宮崎(みやざき)荘を領し、城の坤に社を建て、熊野新宮の摂社飛鳥神の分霊を祀ったのが当社の草創としている。 立神社たてがみしや 和歌山県:海草郡下津町引尾村立神社[現在地名]下津町引尾 下手旧村社。現下津町引尾(ひきお)・奥(おき)・笠畑(かさばた)・百垣内(ももがいと)の産土神で、祭神は高(たかおかみ)神・天照(あまてらす)大神・大己貴(おおなむち)神。タテジンジャとも通称される。「続風土記」は、社伝として欽明天皇のとき京都賀茂両社を勧請、上賀茂神(鴨別雷神)が現在地の向いの岩井(いわい)山に、下鴨神(鴨御祖神)が下(しも)村に鎮座したが、加茂(かも)谷の総名はこれによるもので、両社は加茂谷全体の産土神であったと記す。岩井山から現社地に移ったのは明徳年中(一三九〇―九四)と社伝にあり、その頃山名義理・大内義弘から神田の寄進を受けたが、豊臣氏に没収されたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by